ラ・フォル・ジュルネ~古典四重奏団のショスタコ!

昨晩、庄司紗矢香の後、古典四重奏団のショスタコーヴィチを聴いた。
もはやあれ以上音楽を享受する元気は持ち合わせていなかったが、手元のチケットを無駄にするわけにいかず重い足を会場に向けた。結果、行って良かった。

コンサートの開始時間が22時。こういう時間に耳にするショスタコーヴィチというのは真に乙なもの。まさに夜の音楽として機能し得ることを証明するかのように、ショスタコーヴィチの魂が小さな会場中を飛び回る。もちろんもともと会議室用の部屋を会場に設えてあるだけなので音響という点では不利。それでも、そういう悪環境を乗り越えてショスタコーヴィチの音楽は聴く者の心を溶かす。
舞台にかけられたのはスターリンの死後に創作された2つのカルテット。1956年の第6番ト長調と1960年の第8番ハ短調。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012
「熱狂の日」音楽祭2012”Le Sacre Russe”
2012年5月4日(金)22:00~22:45 東京国際フォーラム ホールB5 ツルゲーネフ
ショスタコーヴィチ:
・弦楽四重奏曲第6番ト長調作品101
・弦楽四重奏曲第8番ハ短調作品110
古典四重奏団
川原千真(ヴァイオリン)
花崎淳生(ヴァイオリン)
三輪真樹(ヴィオラ)
田崎瑞博(チェロ)

何とレパートリー70数曲をすべて暗譜で演奏するという驚異のカルテット。
残響の少ない部屋での乾いた音の一つ一つがショスタコーヴィチの真意を直接に聴衆に届ける。第6番は古典に回帰したような、そう、モーツァルトやハイドンの音楽を聴くかのような浮足立つような軽快さが特長で、それでも内側に間違いなくショスタコーヴィチであるという個性を冒頭から覗かせる。この音楽が生み出された1956年はモーツァルト生誕200年で世界的に湧いた年だからひょっとするとそういう影響もあるのだろうか・・・。
一方の第8番は「ファシズムと戦争の犠牲者の思い出」に捧げられた、おそらく彼のカルテットの中で最も有名なもの(だろう)。怒りと悲しみと。月並みな表現しかできないが、戦争を知らない僕たちの胸にもぐさりと突き刺さる叫びと囁きと。
こういう音楽は夜更けにぴったりだが、夜更けに聴くものでない・・・。
どうにもこうにも何かに憑りつかれてしまったかのような「疲れ」が心身を襲う。

ところで、今日の午後、三度国際フォーラムを訪れ、ピアノ五重奏曲を聴いた。
ショスタコーヴィチは限りなく暗い。
でも、今日のような雨後の晴れ晴れとした陽気の中で耳を傾けると、外と内との妙なアンバランスさに逆に心が安心する。過去への執着と未来への不安をかなぐり捨てて、今この瞬間をただ生きる、そういう音楽が鳴り響く。詳細はまた明日にでも。

2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

今朝はショスタコの有名な傑作カルテット第8番ハ短調ではなく、それより地味な第6番ト長調(1956年作曲)について、私が感じていることを書きます。

>第6番は古典に回帰したような、そう、モーツァルトやハイドンの音楽を聴くかのような浮足立つような軽快さが特長

ショスタコは1954年に妻を、1955年に母を亡くしているにもかかわらず、直後に書かれたこの曲には、無関係を装うような明るさがありますよね。

同じことは、ストラヴィンスキーが1939年から1940年にかけて作曲したハ調交響曲にもいえると思います。ストラヴィンスキーは1938年、長女を結核で失い、翌年には妻と母を相次いで失っています。第1楽章をパリで、第2楽章をサンセルモーズの結核療養所で、第3・第4楽章を第二次世界大戦の勃発のために移り住んだアメリカで書いていますが、全然そういう悲しい曲ではありません。

二人の大作曲家とも、愛する肉親との別離の寂しさを、古典に打ち込むことで紛らわそうとしていたのでしょうか?

いや、穿った見方をすれば、作曲家は自分の限界を超えるほど悲しみのどん底の時には、案外悲しく暗い曲は書きたくないのでは?

「自分は幸せな人生だ」「自分はポジティヴ志向だ」などと強調する人ほど、私には裏側の暗く悲しく厳しい現実が透けて見え、気の毒になります。何故なら、本当に幸せで余裕がある人は「自分は幸福だ」とは、無闇に他人には吹聴しないはずだと思うからです。本当の金持ちが、やたら「自分は金持ちだ」と威張らないのと同じです(ねずみ講や、アクドイ商売やってるたりバブリーな人なんかは、そういう虚勢を張りたがりますが)。

ショスタコの弦楽四重奏曲第6番ト長調やストラヴィンスキーハ調交響曲の「さりげなさ」は深いです。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>作曲家は自分の限界を超えるほど悲しみのどん底の時には、案外悲しく暗い曲は書きたくないのでは
>「自分は幸せな人生だ」「自分はポジティヴ志向だ」などと強調する人ほど、私には裏側の暗く悲しく厳しい現実が透けて見え

なるほど、おっしゃるとおりですね。
なんだかそういうこともロシアの広大な大地によって育まれた性質のようにも思えます。
ありがとうございます。

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