リヒテル シューベルト ソナタ第18番D894(1979.12Live)を聴いて思ふ

確か20年ほど前のことだと思う。
何となくスイッチをつけたテレビからスヴャトスラフ・リヒテルの映像が浮かび上がった。フランツ・シューベルトのト長調ソナタ。僕は強烈に惹きつけられた。シューベルト特有の、息の長い、同時に歌に溢れる音楽に、いつもなら愛想をつかすだろうに、それどころか、ぐいぐい引き込まれる僕があった。
そのとき、リヒテルはアンコールで、終楽章アレグレットを再演した。
それがまた崇高な、言葉に表し難い、得も言われぬ喜びに満ちる音楽だった。

いたって単純なものだ。垂直線を探せばいい。そこで肉体は二つに分かれる。右側は光で、左側は—つまり、おおよそこんな具合だ(シェードの明かりを消し、テーブルの燭台に火をともす)。「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり・・・。」つまり、創世記の冒頭にあるように、生命は光に先立つ。生命の象徴とは、闇なのだ。これがト長調ソナタの始まりだ。ヴェールはソナタが練り上がっていくうちに初めてはがされていく—「神、光あれと言いたまひければ光ありき。」ところが光は長くは続かない。またすべてが覆い隠されてしまうのだ。
ユーリー・ボリソフ/宮澤淳一訳「リヒテルは語る」(ちくま学芸文庫)P40

27分近くに及ぶ第1楽章モルト・モデラート・エ・カンタービレの光と闇、生と死、・・・二元世界の対立を何とか統べようと苦悩するシューベルトの魂を、掬い上げる(救い上げる)ように音化せんとするリヒテルの愛。ここには、大自然の威容に感嘆するシューベルトの心が見事に映し出される。

山々はしだいに険しさを増し、とくに由緒あるウンター山は魔法の世界のように他の山々から抜きんでて威容を誇っています。・・・陽が翳ると、重い雲が霧の霊のように黒々とした山々をかすめてゆきます。でもそれはウンター山の頂にふれることはありません。雲はその威厳あるたたずまいに恐れをなすかのように、それを避けてゆくのです。
(1825年9月12日付、兄フェルディナント宛手紙)
喜多尾道冬著「シューベルト」(朝日新聞社)P263

彼の音楽にある呼吸の深さは、ほとんどこの大自然への感嘆の言葉と相似だ。

・シューベルト:ピアノ・ソナタ第18番ト長調D894(1826)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1979.12Live)

第2楽章アンダンテの旋律美。いや、単なる美しさではない。時に激昂もある安心の歌。やはりここにはリヒテルのただならぬ想いが横溢する。そして、ほぼアタッカで奏される第3楽章メヌエットは、静謐なトリオとの対比にリヒテルの天才。
愛すべきは、終楽章アレグレット!!確信に満ちる左手に、縦横無尽の右手の魔法。

シューベルトのソナタはプルーストの小説に似ている、そこに含まれた愛とは、プルーストのそれと同じように、自分自身に、自分の内なる状態に向けられているのだ。
ユーリー・ボリソフ/宮澤淳一訳「リヒテルは語る」(ちくま学芸文庫)P39

リヒテルの読みは鋭い。

そのとき、私は不意にこう考えた、もしも作品を完成する力がまだ残っているとしたら、まさにこの今日という日、私の作品にかんする観念と同時に、それを実現できないのではないかという危惧の念を私に与えたこの午後の集いは—かつてコンブレーで私に影響を及ぼした日々のように—かならずやなによりも先に、私の作品のなかに一つの形態の痕跡を残すことになるだろう、と。それはかつてコンブレーの教会で私が予感したものであり、ふだんは私たちの目に見えないもの、すなわち〈時〉の形態である。
なるほど、感覚がおかす誤まりはほかにも数多く、それが私たちの目にこの世界の現実の姿をねじまげているのは確かである—この物語のさまざまな挿話がそのことを証明しているのは、すでに見られた通りだ。

マルセル・プルースト/鈴木道彦訳「失われた時を求めて13 第七篇 見出された時II」(集英社)P273

要は仮の世界を楽しむことだ。そこには音楽がある。

人気ブログランキング


9 COMMENTS

ナカタ ヒロコ

シューベルトの18番を聴いてみました。私はリヒテルの東京公演に行ったのですが、不覚にもアンコールの「月の光」しか覚えていないという粗忽者です。調べてみると、その時演奏されたのは、シューベルトのソナタ9・11・13・14番でした。私はシューベルトのピアノ曲では即興曲や幻想曲は好きですが、ソナタはピンとこないできたのですが、この18番は素晴らしいな、と思いました。大自然への愛と畏敬に感応しながら、自分自身の内面を見つめるシューベルトを心を私も感じるような気がしました。
 ベートーヴェンを仰ぎ見ながら、違う味の音楽を創り上げたシューベルト、ベートーヴェンの棺を担いで送った後、翌年に亡くなったシューベルト、ベートーヴェンの隣りで眠るシューベルト。同じウィーンにいて、ベートーヴェンはシューベルトに対してどのように思っていたのでしょう。今まで考えたことがなかったですが、気になってきました。
 リヒテルはシューベルトに自分自身を見ていたのでしょうか。ドイツ人の子としてソ連に生まれドイツ人として扱われたリヒテル、スターリンにスパイの嫌疑をかけられて父を処刑されたリヒテル。(今回初めて知ったのですが)そのようなことを考えると、自分自身の内面を見つめざるを得なかったリヒテルが思われます。岡本さんの感じられた、「シューベルトの魂を掬い上げようとするリヒテルのただならぬ思い」が迫ってきました。これから1979年に聴いたはずのシューベルトのソナタをリヒテルで聴いてみたいと思います。(録音があればいいですが)  ありがとうございました。

返信する
岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

シューベルトは、特に後期のソナタがいずれも絶品です。ぜひいろいろと聴いてみていただきたいと思います。
ちなみに、記事中で紹介したリヒテルの映像はたぶんこれだと思います。↓
(アンコールはカットされていますが)
https://www.youtube.com/watch?v=gcei2nCYbNs

第18番D894は、ほかにもアラウ最晩年の録音や内田光子の演奏も素晴らしいです。
https://classic.opus-3.net/blog/?p=21917
https://www.youtube.com/watch?v=fbwmId4m4h4
https://www.youtube.com/watch?v=xwcIrJbwNcg

シューベルトはベートーヴェンを尊敬しつつも、また、同じ街に住んでいても結局は対話をすることが叶いませんでした。それに、ベートーヴェンは病床にあるときにシューベルトの歌曲を聴いて、「素晴らしい、彼はいずれ成功するだろう」と言ったといわれますが、真偽はわかりません。二人がもし対面できていたら音楽の歴史は多少変わったかもしれませんね。

返信する
ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 シューベルトの歌曲を聴いてのベートーヴェンのコメント、もし本当だったら嬉しいですね。
 シューベルト、ピアノソナタ18番について、いろいろな演奏のご紹介ありがとうございました。リヒテルの演奏の映像、やはり演奏家が演奏する姿を見ながら聴くのはまた格別ですね。あの大きな手を丸めて、指圧に細心の注意を払いながら弾く様子、リヒテルの思い入れの深さを感じます。楽譜を見ながら演奏していましたね。ポゴレリチと同じ理由からでしょうか?
 アラウのCDも聴いてみました。1楽章、音色もテンポも表情も違って同じ曲とは思えないと思いました。生き生きとして、愛情が感じられる演奏だと思いました。ブックレットにあったアラウ最後のインタビューで、トスカニーニやカラヤンのやり方やコンクールで演奏に甲乙をつけることに対する批判を述べていたのに、アラウの音楽に対する信念が表れていて面白かったです。また、アラウがラフマニノフを空虚な音楽として演奏の対象としていなかったことを初めて知りました。
 内田光子の演奏もいいですね。シューベルトの歌心を感じます。
18番のいろいろな演奏をご紹介くださり、ありがとうございました。

返信する
岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

音楽は音だけで聴く場合と、映像付きで聴く場合とでは明らかに印象は異なりますよね。いずれも甲乙つけ難く、その時々に応じて使い分けるのが良いと思います。

リヒテルが楽譜を見ながら演奏するのは、暗譜という余計な労力を回避して、それこそ音楽に集中するためだそうです。
https://blog.goo.ne.jp/pianist-gensegawa/e/1ce0249cfab1ee675bfc7e3dcb2f6b63

また、ポゴレリッチの場合は、単に忘れるからだと。(笑)
https://www.nemo2sha.com/pogorelich-interview-diapason/

いずれも理由がシンプルかつ正論だと思います。
アラウのCDに付された解説書のインタビューは興味深いですよね。
いろいろと聴いてくださりありがとうございます。

返信する
ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 楽譜についての疑問を決定的に解いてくださり、ありがとうございました。ポゴレリチはどこかで、「暗譜で弾くといつも同じ自分流の演奏になってしまう。楽譜を見ながらだと毎回新しい発見があって、より作曲家に近づける」のような発言をしていて、「なるほど。やっぱりポゴレリチはすごい。」と思ったのですが、忘れるの年齢でしょうか。
 リヒテルの「暗譜の無駄な労力を省く」というのは新しい視点で驚きでした。それもネイガウス直伝とのことで、目から鱗の感があります。しかししかし、音符を目にしながら自分の演奏に魂を込めることできるのだろうか、という疑問から抜け出せないでいます。固定観念です。といっても楽譜を見ながらしかピアノを弾けない自分にとっては、うれしい情報です。ありがとうございました。

返信する
岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

お書きになっているポゴレリッチの言葉に大いにヒントがあるように思いました。リヒテルもポゴレリッチも即興性を重視しているのでしょう、だから、楽譜を見ながらのひらめきを都度音化しているのかもしれません。少なくともポゴレリッチのライブを幾度も体験して思うのは、何が起こるかわからないその場その場のリアル感が演奏に凄みを付加しているということです。あくまで個人的感想ですが。

返信する
ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 楽譜と即興性についてよくわかりました。ありがとうございました。アラウも「演奏会当日は練習しない、なぜなら高揚感を損なうから」と言っていますが、それの延長上に楽譜がある、という感じでしょうか。
 アラウのインタビューといえば、アラウが若い頃テレサ・カレーニョに出会い、彼女の、ホロヴィッツを凌ぐ手のしなやかさと聴いたことのないような音の響きについて、目を輝かせながら語った、と書いてあったので、どんなピアニストだろうと調べましたら、ベネズエラの上流階級出身で、リンカーンの前で演奏を披露したり、ピアノのワルキューレと呼ばれたりしたということが書いてありました。CDを聴いてみました(ハンガリア狂詩曲、ショパン:バラード、ノクターン、ワルトシュタイン・ソナタ等)。とてつもない名人を聴いた気がしました。特にワルトシュタインは今まで聞いたことのない緩急、造形、響きで、ベートーヴェンもこれを聴いたらもしかして舌を巻いたのでは?と思いました。こんなピアニストがいたこと、初めて知りました。ピアノだけでなく、オペラ歌手・作曲家・指揮者でもあったそうです。岡本さんのご感想をお聞きしたいです。すみません。

返信する
岡本 浩和

ありがとうございます。テレサ・カレーニョは知りませんでした。
とりあえず「ワルトシュタイン」第1楽章を聴いてみましたが、テンポの揺れといい、強弱の自然さといい、絶妙ですね!こんなピアニストは聴いたことがりませんでした。ピアノ・ロールなので実際とは少々の違いはあるでしょうが、驚異的です。練習法といい、音楽・演奏に対する姿勢といい、ピアノ界のイチローのような存在ですね。4度も結婚しているそうですが、当時としてはそう珍しくはないのでしょう。それよりも少なくとも音楽に関しては相当ストイックな人だったのだと思われます。
https://pianomastery.space/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7

ほかにもいろいろと聴いてみようと思います。
ありがとうございます。

返信する
ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 お忙しい中、早速聴いてくださって、ありがとうございます。多くの演奏を聴いておられる岡本さんのとっても、驚異的なんですね! それに、これまでの練習について、ピアノ演奏で大切なことについて、等本人が語っているページもとても興味深いです。技術の錬磨を重視しているところはアラウの姿勢と共通していますね。「ピアノの女帝」「ピアノのワルキューレ」に加えて、「ピアノのイチロー」、納得しました。ありがとうございました。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください