外出禁止というのはなかなか厳しいものがある。週末までの予定をすべてキャンセル。
静養あるのみだが、ずっと寝ているわけにもいかず。とはいえ、微熱少々。気分転換に年末に国内盤でリリースされたフルトヴェングラーの1954年バイロイトの第9を聴く。
発売後既に何度か耳にするが、複雑な気持ち。この録音は果たして正規盤として表に出されるべきだったのか・・・。
確かに間違いなくフルトヴェングラーのベートーヴェンである。しかしながらあまりに音が貧弱(わかっていたことだけれど)。修復リマスタリングで辛うじて観賞用として通用する、そんな印象。10代の頃はフルトヴェングラーのすべて、どんな録音でもありがたく拝聴したものだが今となっては・・・。
当時EMIがフルトヴェングラーの第9をリリースするにあたり、1951年のバイロイトの演奏と1954年のルツェルンのものを比較、結果的に51年のものを採用したことがよく理解できる。バイロイトでの記録を聴くなら間違いなく1951年の方を、巨匠の最晩年の第9を聴くなら明らかに8月22日のルツェルン盤の方に軍配が上がる。
それと、これは偶然かどうかわからないけれど、レコード会社、あるいはショップがこぞって「吉田秀和氏が実演を聴いて絶賛した」という枕詞をつけて売り込もうとしているのがどうもいただけない(昨年、氏が急逝される以前におそらく発売は決まっていただろうから考え過ぎだろう。販売側の戦略としてこの文句は使わない手がないのもわかるのだけれど)。いや、僕も随分長い間聴きたいと思っていた。ただ、実際に耳にしてみると・・・。複雑である。
ところが、iPodに仕込んで、イヤホンで聴いてみてほんの少しだが印象が変わった。
なるほどこういうモノラル録音はハイエンド・オーディオには合わないということだ。すべてを遮断して耳元でフルトヴェングラーを聴くと、音の悪さを超えて実に生々しさが感じられるのだから面白いものだ。前面に出過ぎる歌手陣の歌、ティンパニの凄まじき轟音などなど、これはこれで許せるかな。時空を超えて60年前のその瞬間を想像する。涙がこぼれそう・・・。
それと、本国内盤には前日のゲネプロの一部が収められている。日本フルトヴェングラー協会からの音源提供らしく、実はこちらの方がより自然な音が鳴り響く。観客の咳払いや最後の拍手から想像するに公開のリハーサルだったよう。それにしても本番の方では最後の拍手等一切がカットされているのは残念。ライブ演奏の場合は前後の拍手も演奏の一部だと僕は思うから。
結論。余程のフルトヴェングラー・フリークならば必聴。そうでない方にとっては不要(51年のバイロイト盤、あるいは54年のルツェルン盤で十分)。
ライブ演奏の場合は前後の拍手も演奏の一部だと僕は思うから。
全く同感です。外出禁止が厳しく思えるのは若い証拠です。長い人生、時々”Pause”を喰らうのもいいものですよ。Blogとても楽しんでいます。Thank you !
>Judy様
おっしゃるとおりですね。”Pause”をもう少し楽しみます。
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。