Claudio Arrau The 80th Birthday Recital

徹底的に内観し、自身の内面を正直に紙に認めること。そのことでカタルシスがもたらされる。僕がZEROをワークブック化しようと目論む意図はそこにある。

1802年頃のベートーヴェンの内側には、その後の人生に多大な影響を与える「事」が起こっていた。そのことは、現在において「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる文書を書くという行為により見事に解消されたのだろう、彼の生き方は大きく転換し、生まれる音楽もほとんどが神がかった境地に達するようになる。果たしてこれらの音楽を当時の人々は真に享受できていたのか、そこは定かでないが、そういうことは抜きにしてともかく「すごい音楽」がいくつも世に問われ始める。

交響曲では「エロイカ」が産声を上げる。ピアノ・ソナタでは「ワルトシュタイン」と呼ばれるもの。オラトリオ「オリーヴ山上のキリスト」の初演も大変な成功を収める。リヒノフスキー侯爵からはジョージ・ブリッジタワーを紹介され、このヴァイオリニストのために後の「クロイツェル・ソナタ」を書く。さらには、「魔笛」の台本作者であるシカネーダーからオペラ作曲の依頼を受け、紆余曲折の末ブイイ原作の小説「レオノール、または夫婦の愛」を見つけるのもこの頃(結果的に「レオノーレ」の完成は1805年まで待たなければいけないのだけれど)。

ともかく怒涛の勢いだ。人生のクライマックスであるかのように。

ニューヨークのエイヴリー・フィッシャー・ホールで開催されたクラウディオ・アラウの80歳記念リサイタルを観た。1983年2月6日。30年前の「あの頃」。その時代の空気感までもが蘇る。音楽の力というのは真に大きい。

クラウディオ・アラウ―80歳記念リサイタル
ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第21番ハ長調作品53「ワルトシュタイン」
・ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」
ドビュッシー:
・水の反映~「映像第1集」
リスト:
・エステ荘の噴水~「巡礼の年第3年」
・バラード第2番ロ短調
ショパン:
・スケルツォ第1番ロ短調作品20
クラウディオ・アラウ(ピアノ)(1983.2.6Live)

「ワルトシュタイン」も「熱情」もテクニックは往時に比較して衰えているものの、重心の安定した、いかにもアラウらしいベートーヴェンに心を打たれる。「ワルトシュタイン」ではフィナーレ、コーダの難所と言われる例のグリッサンドも軽く(?)クリアしているし。
それにしてもこのハ長調のソナタの最初の楽章から終楽章にかけての「解放」の様が実に感動的。この作品を書き上げたときベートーヴェンは32歳の青年なのだが、あの「遺書」での内面告白以後、「すべてはひとつだ」と悟ったのではないかと思われるくらい。この音楽を聴いているだけで自分の内側にある「負のもの」が浄化されるよう。
それと、何より素敵なのが「水の反映」!ドビュッシーが「この曲はシューマンの左、ショパンの右に座席を占めるであろうと確信している」と言った「映像第1集」において最も映像的で、水面にきらきらと輝く光の様と、光から生じる影の対比がアラウの手によって上手に再現される。続く「エステ荘の噴水」もそうだが、アラウは水を描くのが巧い。というより、音化された映像をより一層わかりやすく翻訳して音楽にするのが得意なのだろう、この人は。ファイナル・セッションの「ベルガマスク組曲」もそういえば最高だった。

堅牢たるドイツ音楽の構造をドビュッシーが打ち破った。
ベートーヴェンは人のまま悟りを開き、ドビュッシーは体外離脱し、外からすべてを俯瞰しているよう。どちらが偉いのだろうか・・・(笑)。


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