人生いろいろ

人生いろいろ。
紆余曲折、山あり谷あり、短いスパンではそれぞれの人生に様々起こるものの長い目で見ればすべては「それで良し」という結果に必ずなるもの。「何が正しいのか?」と人は自問自答するが、生きることに正解などないということ。どんな生き方も捉え方次第。

久しぶりにチャイコフスキーのコンチェルトでも聴こうとかれこれ30年の愛聴盤であるアルゲリッチ&コンドラシン盤を取り出す。
この音盤、発売当時は相当話題になった。じゃじゃ馬アルゲリッチが暴れまくり、「火を噴く」とまで比喩された名演奏である。この作品を得意にするアルゲリッチのアルゲリッチらしい最右翼の録音だと思うが、それこそ組む相手、演奏時期、あるいは場所によってそれこそ様々。
彼女ともあろう人は、やはりその人生の中で諸々体験しているだろうから、その時の感情が直接に反映されるのだろう。
その意味で、1980年当時はおそらく最も脂が乗っていた頃なんだと思われる。それに、この約1年後にキリル・コンドラシンが急逝するということを考えると一世一代の、一期一会のチャイコフスキーなんだと確信できる。
高校生の頃の僕がとにかく夢中になって聴いていた、あのアナログ盤、味もそっけもない白地にタイトルだけの入った¥2,000の廉価盤。本当に繰り返し耳にした。

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
キリル・コンドラシン指揮バイエルン放送交響楽団(1980.2.7-8Live)

ロシアの秘めたる矛盾。広大な大地と厳しい自然との闘い。それゆえに人々の絆が深まると同時に人間に対する不信というものも強化される不可思議。
ロシア人は意図的だ。でないと生きてゆけない。長い歴史の中で常に自己と他者との戦いを強いられてきた結果、編み出された術のようなもの。
そのことの苦しみさえ忘れ、内部に矛盾を抱えながら自己陶酔する(これもまた不可思議)。
酷寒の冬。閉じ込められた屋内での暖かい空気の中にあるのは家族団欒なのか、それとも自己批判なのか。まぁ良い。考え過ぎるのは止そう。

チャイコフスキーのコンチェルトは華麗だ。ロマノフ王朝最後の輝きだ。

「自然とのふれあいこそが、あらゆる進歩の最後の言葉である」(ドストエフスキー『作家の日記』より)


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。
出た! 名キャッチコピーだった、「その時ピアノは火を噴いた!!」

実際、チィコフスキーピアノ協奏曲では、複数あるアルゲリッチの録音で、このコンドラシン指揮によるライヴ盤の手に汗握る迫力が最も好きです。

ところで、私はかねてより「スチールでできた楽器」としてのピアノの魅力についてここで何回もコメントしてきたのですが、数日前図書館で借りた本に、まさに限りなく私好みの名文があるのを発見し喫驚しましたので、ご紹介します。

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『オーケストラは素敵だ―オーボエ吹きの楽隊帖』茂木 大輔 (著) (音楽之友社 オン・ブックス 1993年 第一刷発行)より64〜66ページ

〈ピアノ/ショスタコービチの金属的な響き〉

 今は言葉そのものが無くなってしまった「共産圏」を、おれはいくどか演奏旅行で訪れている。東ドイツ、ポーランド、ソ連、ハンガリー。それぞれに風土、国民性、豊かさ、豊かでなさは違い、印象も大きく違っているのだが、そこにはなにか共通した「共産圏特有のムード」というものがいつも支配していた。
 
 政治による強い抑圧のせいなのか、少ない物資、商品のせいなのか。資源と技術力の極端な節約は、共産圏の都市から「色彩」を消していた。西側のような派手な色は、建物にも、ショウウインドウの衣類にも、印刷物にも見られなかった。そこには粗野な塗料、染料、インクによる貧しい、薄れた発色でやっと語られている青や赤があるきりだった。古いかたちの自動車がひどい排気ガスの臭いをまきちらしていたのだが、その臭いはおれに、自分が生まれたころ、昭和30年代の東京を連想させた。

 タイムスリップをしたような感覚をおぼえるいっぽうで、ほとんど商品がなく、買い物をしても、粗末な紙の包装しかしてくれないデパートなどを歩いていると、西側の世界が物凄い消費と開発によって古いものをどんどんおしつぶしながら回転しているということがわかってくるのだった。

 この、国家によってすべてのことがとり行われていた不思議な世界には、都市の外観に見られるアンバランスがいたるところに存在していた。突如としてとんでもなく贅沢な道路、広場、スポーツ施設、会議場、ホテルなどがあると思えば、そういうものを作ろうとして工事は始めたが、いつのまにか中止になってそのまま放置されている現場があったり、たとえ完成しても、その後何十年もオーバーホールされずに「東京オリンピック」のころの趣味で内装されたままのレストランがあったりする。なかでもとても印象的だったのは、あちらこちらに見かける鉄道の線路であった。赤く錆び、草がはえるにまかせた、うちすてられた鉄道の線路は、国家がきまぐれに着手し、きまぐれに中断し、そのままにしてしまった大きな計画の名残だろうか。そして、それをその場所で生活する誰ひとりとしてとがめることも許されず、ましてやそこに新しいことを始めることなど考えもおよばないのだろう、とおれは歴史の化石のようなその線路を眺めて思った。

 ショスタコービチが19歳にして発表し、「モーツァルトの再来」とセンセーションを巻き起こした第一交響曲の、さまざまな灰色だけで塗り潰されたような半音階の世界は、おれにあの、色彩のとぼしい共産圏の町並みを思わせるのだが、その、なんとも甲高い金属的な響きは、これがモーツァルトのピアノ協奏曲を奏でているのと同じ楽器であるとはとても思えないほどだ。それは実に、耳に焼きつくような、あざやかな、まったく新しいピアノの用いかたなのだ。

 ピアノが金属フレームに金属の弦を物凄い力で張った楽器であることを、いやというほど思い出させてくれる音。おれがこの響きを聞くたびに思い出すのは、共産圏のいたるところでみた、あの、うちすてられた線路である。どこに続いているのかわからない、いつ、だれが何のために敷いたのか、誰に聞けばよいのかもわからない、長い長い、決してまじわることのない二本の冷たい鉄の棒。それは寒い国に生まれて暗黒の時代に身をおき、自分の才能との戦い以外に、はるかに多くの苦しみと制約を背負って創作を続けた作曲家の運命を象徴しているようにおれには感じられるのである。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%81%AF%E7%B4%A0%E6%95%B5%E3%81%A0%E2%80%95%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%82%A8%E5%90%B9%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%A5%BD%E9%9A%8A%E5%B8%96-%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E8%8C%82%E6%9C%A8-%E5%A4%A7%E8%BC%94/dp/4276351138

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上のエッセイの雰囲気が十二分に味わえる名盤中の名盤。

ショスタコーヴィチ  交響曲第1、5、6、8、10、15番 ザンデルリング(ク)&ベルリン響
http://www.hmv.co.jp/product/detail/103415

「鉄は国家なり」という古き良き時代も、過去には有ったようです。

※それにしても19歳のショスタコは、交響曲第1番で、「鉄は熱いうちに打て」を見事に実践しましたね(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
いやあ、素晴らしいエッセーですね。
リアルに光景が想像されます。
確かに「ピアノ=鋼鉄」というイメージは意外にないものです。
昨晩も今朝も遇々マイルスの1958年のある録音を聴いていたのですが、当時のマイルスの音楽などはショスタコとは少し違ってピアノに鉄を感じさせません。それはビル・エヴァンスの奏法のなせる技だと思うのですが、ミュート・トランペットの金属的な音との対比が非常に興味深く、その意味ではあの頃の「共産圏」の音楽と正反対の「演出」であるかのように聞こえます。

ザンデルリンクのショスタコいいですねぇ。僕も好きです。

>19歳のショスタコは、交響曲第1番で、「鉄は熱いうちに打て」を見事に実践しましたね

はい、とても10代の作品とは思えません。老練の極み?いや、若いから書けたのでしょうか??

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » ハイドン×ベートーヴェン

[…] CD黎明期?・・・多分80年代の終わり頃だろうか、まだまだCDなるものが結構な値段で、限定発売ということで僅か2,000円(!)で日本コロンビアから発売されたアルゲリッチの新譜を手に取り、とにかく早く聴きたくて急ぎ足で帰宅の途についたあの時・・・。 ちょうど今、僕の中でホットなベートーヴェンとハイドンのカップリング。 久しぶりに聴いたけれど、全く色褪せない。しばらくアルゲリッチは聴いていないけれど、この頃がやっぱりピークだったのだろうか、彼女の・・・。いや、もちろん年齢を重ねて一層深みのある音楽を創り出すようになっただろうことは間違いないのだが、何と言うか、キラッと光る、インスピレーションに満ちた瞬間が多く垣間見られるのは80年代までだったんだろう、とか・・・。80年代初頭に聴いたコンドラシンとのチャイコフスキーのライブ盤も半端なかったし、その頃に小澤征爾の指揮で新日本フィルと演った伝説のチャイコフスキーも手に汗握る大変なパフォーマンスだったし。 […]

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