アンドレイ・タルコフスキー監督「惑星ソラリス」

「人間」という部屋の住人であるギバリャンは、「真実」のない人間に絶望を感じて自殺を遂げたのだろうか(人間に「真実」はないと語ったのはサルトリウス)。ギバリャンは告白する。サルトリウスのいう「ソラリスの海に強力なX線を照射する実験」に賛成だと。意識のあるソラリスの海に放射線を当てることは果たして是なのか非なのか。

最後にクリスが悟った言葉を聞いて、たとえ人間でない異質の物体であろうと意志を持つモノに対して人間が何かを謀れるものではないのだと僕は確信する。いや、異質の物体どころでない。動物や地球という生命体に対してもそういうことだ。

同情心というものは時に有害だ。人を苦しめる。苦しみは生活に陰を差し、猜疑心をもたらす。でも本当にそうか・・・。私はそう思わない。生活に不安なものはすべて有害なのか?そうじゃない。絶対に有害ではない。トルストイも苦しんだ。そもそも人類を愛することができないと・・・。あれから何年経つ?わからないんだ、助けてくれ。
僕も人を愛する。だが、愛とは感ずることはできても具体的に説明することが困難な概念だ。人は失いやすいものに愛を注ぐ。自分自身、女性、祖国・・・。だが人類や地球までは対象としない。人類は高々数十億人、わずかな数だ。もしかすると我々は人類愛を実感するためここ(=ソラリス・ステーション)にいるのかも。

クリス・ケルヴィンの孤独の正体は「女性というもの」、すなわち「母性」の欠如から来るものだろう。母からの愛情が不足していた彼は人を愛することを苦手とした。というより、できなかったのかもしれない。ゆえに日常生活では「ゲーム」の応酬だ。そのことはハリーが劇薬自殺する前の経緯の語りから推測できる。本当は愛されたいと人一倍想うのに、そのことを直接に伝えられない「弱さ」が彼にはある。本来ならば「善」の塊であるのに素直に生きられない。よって「良心の呵責」が常に彼の前に立ちはだかる。特に、「ソラリスの海」は人間のもつ「良心の呵責」、つまり「罪意識」にフォーカスし、イメージの物質化を起こすものだから彼の前には10年前に亡くなった妻のハリーが現れた。

たとえそのイメージがコピーであったとしてもその「物体」との人間的交流の中で人は人らしくなり得るのだとタルコフスキーは訴えかける。

前半、クリスがソラリス・ステーションに到着する間際の映像は、まるで「エヴァンゲリオン」で使徒が爆発する時のような「十字架の光」に見える。やはり「ステーション」は「人類が愛を取り戻すための方舟」なんだ。となると、サルトリウスのような悪魔の囁きもあろうが、やはり放射線照射はできるはずがない。

アンドレイ・タルコフスキー監督「惑星ソラリス」(1972年モスフィルム製作)
原作:スタニスラフ・レム
脚本:フリードリヒ・ガレンシュテイン/アンドレイ・タルコフスキー
撮影:ヴァジーム・ユーソフ
美術:ミハイル・ロマジン
音楽:エドゥアルド・アルテミエフ
キャスト:
ナタリア・ボンダルチュク(ハリー)
ドナータス・バニオニス(クリス)
ユーリー・ヤルヴェト(スナウト)
アナトーリー・ソロニーツィン(サルトリウス)
ニコライ・グリニコ(クリスの父)

スナウトは語る。
我々は世界の征服など考えるべきでない。地球の開発だけで十分だ。別の世界は理解できないし、する必要もない。我々に必要なのは「鏡」だ。人間には人間が必要なんだ。
また、次のようにも言う。
我々はなぜ苦しむのか。宇宙的感性を失ったからだ。

彼の思考は「全体観」に欠ける傾向にあるが、人間には人間が必要だという言には首肯。それは、古来人々が持っていたテレパシー的(通じ合う)感覚を取り戻すためにということだ。そう、「直接に出逢う」、そういう感覚は人と人とがひとつになった時に喚起されるものだ。
クリスが地球に戻ってやったことは父親の前に跪くことだった。まるで懺悔する如く父の前に・・・。失ったものの大切さ、そして自身の内に在る「非人間性」にようやく気づいた瞬間。
そう、「自らを省みること」が重要だ。

「ソラリス」が好きで、レーザーディスクから初期DVD、そしてRUSCICOによるデジタル完全復元版DVDまで所有するが、このたびBlu-ray化された。これは欲しい・・・(笑)。
ちなみに、テーマ音楽はJ.S.バッハのオルゲル・ビュヒラインから第41曲「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」BWV639アルテミエフ編曲版。これがまた素晴らしい。

 

 


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4 COMMENTS

neoros2019

>クリス・ケルヴィンの孤独の正体は「女性というもの」、すなわち「母性」の欠如から来るものだろう。母からの愛情が不足していた彼は人を愛することを苦手とした。というより、できなかったのかもしれない。ゆえに日常生活では「ゲーム」の応酬だ。
アメリカのリメイクでは母性まで踏み込んでいない質の違ったものになっています
次作、「鏡」においてもタルコフスキーは母の残像を記憶のツギハギ・断片を羅列するような感じで追い続けている部分がありますね
生活苦からの金の工面のために鶏の処理のシーンなど痛みの走る映像です
「ノスタルジア」の最終暗転する直前の字幕に「母の思い出に捧げる」と出ます

『主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる』はこの映画を契機にハンス・マルティン・リンデのカンタータ原曲や別のオルガン版やピアノ版はケンプやら数種類買い集めました
印象に残った演奏は東芝EMIのS・ブーニンのピアノ版で映画「惑星ソラリス」のイメージに一番近いような感想を持ちました

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岡本 浩和

>neoros2019様
「鏡」や「ノスタルジア」もそうですよね。
リメイク版は観ていなかったので早速仕入れて観てみようと思っております。
それと、ブーニンのバッハ!!
あれはおっしゃる通り最高だと僕も思います。

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