ワルター指揮ウィーン・フィルのモーツァルトK.550(1952.5.18Live)を聴いて思ふ

mozart_25_40_walter_vpo_1952264ブルーノ・ワルター登場時の、待ち望んだ聴衆の熱狂的な拍手のエネルギーがそもそも尋常でない。
そして、楽章を追う毎に白熱するこの人のモーツァルトに、トーマス・マンの「文化を信ずる者は自分のことしか考えない」という言葉に真っ向から対抗する「人類の調和」を思った。
時折、唸り声をあげて指揮するワルターの気合い。
そして、渾身の力を込めてウィーンの人々と対峙する一期一会的音楽表現。
ト短調交響曲第1楽章モルト・アレグロ第1主題における歓喜に満ちる濃厚なポルタメントは、まさにそのことの象徴である。

モーツァルトの音楽には、その美と完全さ、その高貴な快活さと純粋さの中には、天使のような世界がひらけている。彼の本性のうちに君臨するこうした地上的ならぬ要素は、この創造者の個性にゆだねられた芸術作品についての私たちのイメージにひじょうに不思議にもひそやかに混じている遥かさの感情を説明することもできるだろう。たしかに、おそらくはそこからまた人間の性格や感情へのモーツァルトの深い感情移入の能力が理解されるのである。
内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)

光と翳。世界の二元を幼少時から直感的に知っていた神童の音楽は、どの瞬間も哀しく、そしてどの瞬間も愉しい。それにしても貧困のモーツァルトが慟哭する場面に、これほどの甘美さを持ち込み、天国的な表現を試みながら、どこかデモーニッシュな雰囲気を漂わせた指揮者はワルター以外にいないのでは?

モーツァルト:
・交響曲第40番ト短調K.550(1952.5.18Live)
・交響曲第25番ト短調K.183(1956.7.26Live)
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

第2楽章アンダンテに、大自然の永遠を想い、第3楽章メヌエットに勇敢なる人間のあらたな挑戦を見る。そして、終楽章アレグロ・アッサイのもつ、切羽詰った異様なエネルギーに、破滅に導く戦いから退くよう伝える人類への警告が映る。ワルターのモーツァルトの第一はテンポの良さ、そして第二は反復を一切削り、聴衆に思考的余裕を与えない潔さ。時間と空間の芸術である音楽こそ一発芸なのだと。
それゆえにワルターのライブはいつも凄まじい。

ところで、ワルターがモーツァルトに注入した感情は、彼が「主題と変奏」で述べるように、近くにあった人々への感謝と、僕たち人間を育む大自然への畏怖の念に他ならない。

自分の生涯をふり返ると、私は悲しくなるべき多くの理由を見いだす。しかし、感謝するべきより多くの理由を見いだす。私の力は、私の人生の近くにあった人々、その作品や範例によって私に働きかけ、人間的精神が国境と世紀を超越した共通のものであるという、心の慰む感情を私のなかに育ててくれた人々、こういう大切な人々から流れて来たのだ。・・・力は自然からも与えられた。私は自然の奇跡に強も昔と同じように帰依している。
~同上書P457

フルトヴェングラーがEMIにベートーヴェンの「エロイカ」を録音した半年前の実況録音。
ワルターの内側の謙虚さと愛が滲み出る最高のモーツァルトがここに在る。
ちなみに、同日の後プロはマーラーの「大地の歌」

 

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