フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「英雄」交響曲(1952.11録音)を聴いて思ふ

beethoven_eroica_furtwangler_vpo_1952263第二次大戦後に交わされたヴィルヘルム・フルトヴェングラーとトーマス・マンの往復書簡が興味深い。
そもそもこれは、フルトヴェングラーが非ナチ化裁判に勝利し、1947年5月25日に戦後初めてベルリン・フィルを振ったとき、終演後に聴衆が15分間にわたって狂喜し、指揮者を16回も舞台に呼び戻したことを指し、演奏もせずに聴衆に「15分間も喝采をさせた」とマンが非難したことに端を発する。

しかしながら私は今、もしご都合がよければ、あなたとドイツ問題について話合う機会を持ちたいものと考えております。これに関して私のやっと決着をみたケースはごく僅かな役割しか果たさないでしょう。あなたの周囲にいる人々の私に対する態度を考えると、このような提案をあなたがどう思われるか測りかねますが、拒絶されないよう願っていることは当然です。
(1947年6月29日付、クラランスにてフルトヴェングラーからマン宛)
~ダニエル・ギリス著「フルトヴェングラーとアメリカ」(日本フルトヴェングラー協会)P73

これに対するトーマス・マンの返信。

私は現在最高の指揮者であると拝察する方からの手書きの手紙に返事を出さないままにしておくことは適当ではないと考えます。ということは推測通りあなたの提案には応じられないということであります。私たちは拒絶についてさえ、どうこういうべきではありません。確かにあなた自身のケース―私の目には全く‘決着’していません―も含まれているドイツ問題について意見の交換をすることはほとんど意味のないことで、従って意見の一致が得られる見込みもほとんどありません。
(同年7月1日付、マンからフルトヴェングラー宛)
~同上書P73

さらに、その3日後のフルトヴェングラーの真っ向からの弁明。

ドイツでは私がヒトラーの宣伝のために麗々しく取扱われたり、写真を写されたりした事実に対していささかの偏見も持たずに、誰もが私が初めから他のどの音楽家にもまして、ことの大小にかかわらず、できる限りつくして抵抗をしたことを見て知っています。・・・私はこれまでの人生で自分の行動が常に正しかったと主張する気持は全くありません。しかし、私の弁明書はドイツの非ナチ化裁判の法廷に宛てたものです。そして、私はナチズムに対する闘いの意味するものを、今日ドイツの法廷の判事席に坐る人々の誰と比べても同じ位よく承知しています。
~同上書P74-75

互いに自分が正しいと主張し合うそれぞれの内に垣間見える過去への執着とエゴ。世界が二元で成り立つ以上、どちらも正しいと言わざるを得ないのだが、それにしても、なぜフルトヴェングラーが30歳近くも下のカラヤンにあれだけの嫉妬心を持ったのかがよくわかる気がする。

過去とも他人とも比べるなかれ。
なぜならそれらすべては、アルフレッド・アドラーの言うとおり幻想であり、思い込みだから。

いみじくもトーマス・マンは「文化と社会主義」の中で次のように書いている。

「宗教的な人間は自分のことだけしか考えない」とニーチェが言っている。というのはこういう意味である。宗教的人間は自分の「救済」を、自分自身の魂の救いを考える―そして少なくとも起源的には、それ以上のことを考えない。だがひそかに、そして原理的には、彼の自己浄化の内心的作業が何かしら神秘的な方法で「全体」のために役立つことになる、という信仰を抱き、そういう約束を当てにしている。文化を信ずる者の場合もまったくこれである。
辻邦生著「トーマス・マン」(同時代ライブラリー)P203

なるほど、芸術に心酔する人たちの多くはエゴイストであり、音楽の場合でいうなら、演奏者も聴衆も互いにマスターベーションしているようなものだとマンは(自らも含め)言うのだろうか(マスターベーション大いに結構!音楽芸術は素晴らしいのだ)。フルトヴェングラーとマンのやりとりが結局平行線をたどったのもわからなくはない。

・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1952.11.26-27録音)

決して開き直るわけではないが、芸術というのは人間的であるがゆえに面白いのだ。現代では神格化されるフルトヴェングラーのベートーヴェン演奏も、極めて人間的なものだった。彼は自身の芸術に酔い、その時々の空気や自身の感情に左右され、テンポは揺れに揺れ、音楽の密度が高低するも、緊張と弛緩を見事にコントロールする。
実にエゴイスティックだ。

なるほど、60年以上の時を経ても彼の「エロイカ」が色褪せないのは、人間の根底にあるエゴと同期するからだろう。ここには実は聖なるものなどない。生を謳歌し、死を怖れ、そしてエロスを求めるあまりに人間らしい人間の姿があるのみ。
素敵だ。

 

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