ノット指揮東京交響楽団 名曲全集第206回Live from Muza!《ニコ響》

アントン・ブルックナーの第一念。
途方もない音響の中に、純真で繊細な、しかし時に荒々しいながら素朴な音楽が明滅する様子に僕は第1稿の存在の重要さをあらためて思った。

ワーグナー、リスト、ルービンシュタインを考えてみればわかるように、世紀の変わり目の時代、泡沫会社乱立時代のインテリ崇拝は、芸術家がまったく「身なり」を気にすることなく生きていくなどとは信じようとしなかった。そこに彼の女性たちに対する不器用さと純真さが加わった。かわいい娘と出会うごとに、彼はあまりにも簡単に「熱を上げた」のである。彼は異性に関しては、いかなる成功も残さなかったし、同様に、彼の音楽もまた、生涯の非常に長い間、いかなる名誉の冠を授けられることもなかった。
レオポルト・ノヴァーク著/樋口隆一訳「ブルックナー研究」(音楽之友社)P11

時代が早過ぎたのである。
いわゆる「風の時代」に入り、時の経過と共にブルックナーの音楽は徐々に世界を席巻し始める。しかし、それでも巨匠の第一念が受容され出したのは1980年代に入ってからだ。結局、大衆理解に1世紀もの時間を必要としたのである。

インバル指揮フランクフルト放送響 ブルックナー第8番(第1稿)(1982.8録音)を聴いて思ふ

世界は本当に便利になった。
会場に赴かなくともライヴでコンサートが聴ける時代になった。
もちろん音響含め、細かいところの判断はつきかねる。しかし、少なくとも指揮者の解釈の源泉や造形についてはオンラインによってほぼ100%確かめることが可能だ。

ジョナサン・ノットの最後のシーズンの置き土産らしい。
荒々しいはずの第1稿が実に素晴らしく、そして美しく、充実した音響と音調を伴って奏でられた(ようだ)。

14時03分、オーケストラ入場、チューニングを終え、06分ジョナサン・ノット登場。
第1楽章(アレグロ・モデラート) 17分10秒(17分10秒)
第2楽章(スケルツォ) 17分40秒から33分55秒(16分15秒)
第3楽章(アダージョ) 34分37秒から1時間05分00秒(30分23秒)
終楽章  1時間05分34秒から1時間30分00秒(24分26秒)

全体的に遅めのテンポの重量級の演奏だったが、弛緩せず、集中力抜群で、時間を感じさせない名演奏。

隅から隅まで余裕のある音。
第1稿にはいわゆる漸強漸弱がほとんどない。一気にヴォリュームが絞られたかと思うと突然轟音が鳴り響く。そういうところがブルックナーの一念の聴きどころだろう(しかし、そこは会場に実際にいないと醍醐味までは掴めない)。
ほとんど連関なく分断されたようにみえるブロックが積み上げられるごとに一つになっていく様子が神がかる。絶対的な美というものを巨匠はそれまでにない方法で成し遂げていたのである(しかし、弟子や批評家の意見を聴くたびに、彼のその尖がった独自性は薄れていく)。

(第1楽章の後の稿では削られた取って付けたようなコーダの意味が僕はやっとわかった。これは終楽章コーダへの伏線なのだろう)
30分超を要した第3楽章アダージョの極めつけの美しさ。
そして、ギアをチェンジし、颯爽と進軍ラッパを鳴らす終楽章の咆哮が最高だった。
いずれの楽章においてもブルックナーらしい休止が最高の瞬間を作り出していたが、ノットの絶妙な間(ま)がまた真に素晴らしかった。
中でも、コーダ直前、第3主題のフーガ的展開の直前の、新たな稿には存在しない静かな短いパッセージに感動し、その後、第1楽章第1主題が再現されるシーンに僕は釘付けになった。
そして、絶対的な、ブルックナーな生み出した傑作コーダは、第1稿ならではの音響を醸し、興奮の一瞬を僕に与えてくれた。音量が一気に絞られ、少しの間宙を漂い、その後に大爆発する様子は宇宙の生成そのものだ(アントン・ブルックナーは創造主だったのか?!)。

ブルックナーという現象に直面するたびに、わたしたちは矛盾の溝を目にし、重苦しい気持ちから解放されることはない。《テ・デウム》、モテット、第7、第8、第9交響曲といった傑作があり、そしてそれらの隣には彼の窮屈な日々の生活がある。これはいったい何なのだ。彼がこの矛盾を担い、耐えたということ、そのことが彼をしてある種の「偉大さ」へと至らせた。それは、個々の外見からは見えないが、まさに、底が見えないほどの精神的深みに横たわる「偉大さ」なのである。
~同上書P12

聖俗が一つになったアントン・ブルックナー。なるほど、佛の言葉を思った。

山是山(山は山である)
山不是山(山は山ではない)
山還是山(山はやっぱり山である)

願わくば会場で聴きたかった。

ルイージ指揮NHK交響楽団第2016回定期演奏会 ブルックナー 交響曲第8番ハ短調(1887年第1稿)

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