
ルドルフ大公は、1809年以降、ベートーヴェンのパトロンの一人になったが、しばらくはキンスキー侯が最大の後援者だったらしい。
1808/09年に足繁く王宮に通ってピアノ指導をしたことに始まり、それが直接、1809年2月の3者年金の契約に結びつき、大公との関係は益々、深まって、大公はベートーヴェンを経済的に、しかも安定的に、支援する最大の後援者となっていった。ただこの時点で最大の拠出者はまだキンスキー侯ではあったが、ルドルフとの、ことに音楽的な関係は他に類を見ないものであり、また大公のピアニストとしての成長も目を見張るものであったに違いなく、ベートーヴェンはその点でも手応えを感じていたのではないか。
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P790
長きにわたるルドルフ大公との関係と、大公に献呈した11の作品がいずれも名作であることを考えると、ベートーヴェンの大公に対しての思いの深さが普通ではないことがわかるだろう(もちろん経済的支援の誠心誠意からのお礼という意味合いも強いだろうが)。
ピアノ協奏曲第4番ト長調に始まり、「皇帝」、「大公」トリオ、ハンマークラヴィーア・ソナタなど、すべての作品が何と立派で愛おしいものであることか。
作品番号としてはそのひとつ前に当たるヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96も大公に捧げられたが、それは1812年末の作である。この時期はブライトコップ&ヘルテル社との関係がうまく行かなくなり、さりとて他の出版社との協働の糸口もなかなか見つからず、1812年にブライトコップ&ヘルテル社が積年の《エグモントへの音楽》作品84と《ハ長調ミサ曲》作品86を出し終わると、1815年6月まで、フィデリオ・フィーバーのなかで《フィデリオ》の各種の版が1814年8月から12月にかけてアルタリア社から次々と刊行されていることを除けば、自身の創作活動としての作品出版は2年9ヵ月も途絶える。
~同上書P790
重要作が目白押しの中で、「出版」が途絶えたことは、創作活動こそを生業としていた当時のベートーヴェンにあって未来への不安の大きな原因だっただろうことが手に取るようにわかる。
最後のヴァイオリン・ソナタとなった第10番ト長調は、可憐で喜びに溢れた重要作だ。
グリュミオーとハスキルの協働は、和やかに、そして丁寧に綴られる音楽から万全の癒しをもたらす。初演は1812年12月19日、ロプコヴィッツ侯爵邸にてピエール・ロードのヴァイオリン、ルドルフ大公のピアノによる。
第1楽章アレグロ・モデラートの、大公に献呈する諸作品に共通する女性的な音調に彩られた音楽の柔和な悦び。続く第2楽章アダージョ・エスプレッシーヴォは、グリュミオーの息の長いヴァイオリンの旋律を軸に、ハスキルの祈りのピアノと併せ天国的な調べを創出する(音調は晩年のピアノ・ソナタホ長調作品109の終楽章と相似形。なるほどここにつながっていくのだ)。
そして、わずか1分半ほどの溌剌たる第3楽章スケルツォ(アレグロ)から、変奏曲形式で書かれた終楽章ポコ・アレグレットの明るく素朴な主題に、またその旋律を心を込めて歌うグリュミオーの演奏に感銘を受ける。何よりベートーヴェンの(最晩年にディアベリ変奏曲として結実する)各変奏の巧さ!(この時期はやっぱり心身ともに充実していたのだろうと想像する)
ルドルフ大公に献呈された諸作品に通底するのは「快楽」であり、「歓喜」であり、「優雅」であり「愉快」、そしてまた「安心」「希望」「好運」「光明」「信心」「自由」「感謝」、「幸福」だ。

