
久しぶりに「The Beatlesアンソロジー」(リットーミュージック)をひもといた。
「ヘイ・ジュード」は、彼の傑作のひとつだ。僕の息子のジュリアンの歌だと言っていた。僕がシンと別れてジュリアンを手放すのを知っていたんだ。彼は、ジュリアンに“やあ”というために、車でやって来た。ジュリアンにとっては、おじさんのような存在だった。ポールはいつも子どもに優しかった。だから「ヘイ・ジュード」を思いついたんだ。
でも、僕はいつも、自分に向けられた曲として聴いていた。この曲について考えると、ヨーコのことが頭に浮かぶ。彼はこう歌った。”Hey Jude – hey John”。歌詞を深読みしすぎるファンみたいなことを言っていると自分でも思うけど、この曲は僕へのメッセージとして聴くこともできるだろ。”go out and get her”(積極的に彼女を手に入れるんだ)というくだり—彼は潜在意識の中では“さあ行け、僕を置いていけ”と言ってる。だけど、意識レベルでは、彼は僕に行ってほしくなかったんだ。彼の心の天使は”神の祝福あれ“と言っていたけど、心の悪魔はそんなことをまったく望んでいなかったんだ。なぜなら、パートナーを失いたくなかったから。
(ジョン・レノン、1980年)
P297
自惚れのようにも思えるし、事実のようにも思える。
所詮真意は人にはわからぬもの。
ただ、「ヘイ・ジュード」は、やっぱりビートルズが、ポールが生んだ傑作のひとつであることには違いない。
レコードを持ってトッテナム・コート・ロードのヴェスヴィオに行った時のことを覚えているよ。ヴェスヴィオというのは、”朝3時にビーンバッグ・チェアーの上でボーッとしている”というタイプのクラブなんだ。僕が行ったのは夜のちょうどいい時間だったので、DJにレコードをかけてもらったんだ。ミック・ジャガーが寄ってきて、僕にこんなことを言ったのを覚えている。“2曲入ってるみたいだな。1曲終ったあと、最後の”na na na”のところだけで、丸々1曲分あるぜ。
(ポール・マッカートニー)
P297
確かに7分のシングルが売れるのかどうなのか誰にもわからなかった。
しかし、彼らには自信があった。
「ヘイ・ジュード」はトライデント・スタジオで録音した。長い曲だった。実は私は、曲の時間を計ったあと、“こんな長いシングルは作れない”と言ったんだ。すると、ビートルズは—この時に始まったことではないが—大声で私を非難し、ジョンが“なぜダメなの”と訊いてきた。実際、私は合理的な理由を思いつくことができなかった—ディスク・ジョッキーがかけられないという情けない理由を答えるぐらいが関の山だった。すると彼は言った。“かけるさ。僕らのレコードだもの”。まさしく彼の言うとおりになったんだ。
(ジョージ・マーティン)
P297
稀代のプロデューサーの想像さえ超えてしまうビートルズの革新と創造力に今さらながら舌を巻く。
「ヘイ・ジュード」は、今やクラシックになったね。あのレコーディングは、いい感じだったよ。僕らは2回ぐらい演奏した—ちゃんとしたのを録ろうとしてね。そして、いつものようにすごくヒットした。なるべくしてそうなったって感じだね。
(リンゴ・スター)
P297
ビートルズという必然。完全だと思う。
The Beatles:Hey Jude (1968)
トゥイッケナム・スタジオでの有名な演奏シーンは、実はテイクが3つあることを知った(司会のトークも含め)。
それぞれが微妙に違い、またそれぞれが「ヘイ・ジュード」の美しさと喜びを見事に体現しており、実に興味深い。それこそ世界の平和を願うビートルズの面々とともにコーラスに参加する若者たちの恍惚の表情がいろいろな角度から捉えられていて素敵だ。
ビートルズが「ヘイ・ジュード」と「レボリューション」の演奏シーンを撮影していた時、トゥイッケナム・スタジオにデヴィット・フロストがやって来て、自分の番組か何かのためにやっているみたいに、司会をやったんだ。この撮影は観客を招いてやった。彼らは全員ステージに上がり、「ヘイ・ジュード」のコーラスのリフレインを歌ったんだ。
(ニール・アスピノール)
P298
それぞれの歴史的な証言が面白い。
ジョージが振り返る。
僕らは観客の前で撮影をやり、「ヘイ・ジュード」のために、人が呼び入れられたんだ。デヴィット・フロスト用に特別にやったわけじゃないんだけど、この模様は彼の番組で放送された。撮影の時、彼は実際にスタジオにいたよ。
(ジョージ・ハリスン)
P298
ビートルズはまさに「選ばれし人たち」だ。
音楽が歓喜を喚起し、心と心がひとつになるためのツールであることをこの映像は教えてくれる。誰もが(ジャンルは別にし)音楽を愛する。
ビートルズは音楽史の奇蹟のひとつだった。