思相(おもあい)

すべての予定をキャンセルして今日は一日家に居ることにした。
お蔭でよく寝た。よって復調。
そして、新年を迎えての掃除を。よってすっきり気持ち良い。

都心の気温は零度を記録したらしく、本日も相当に寒い。
でも、掃除で身体をたくさん動かした後、熱いシベリウスを聴いているからか心身はポカポカ。
バーンスタインが晩年にウィーン・フィルと演奏したシベリウスのシンフォニーはどれもねっとり、ゆっくり浪漫的極みで、初めて聴いたときは相当に抵抗を感じたものだから随分長い間棚の奥で眠っていたが、40歳を超えた頃からあの当時のバーンスタインの演奏の、どちらかというと僕好みでなかった演奏の多くが愛おしく感じるようになった。ドヴォルザークの「新世界」然り、ブルックナーの第9番然り、あるいはチャイコフスキーの後期交響曲集然り。

ジャン・シベリウスについてはベルグルンドネーメ・ヤルヴィ、新しいところではセーゲルスタムがヘルシンキ・フィルと録音したものを愛聴しているが、それらの「北欧型演奏」とは正反対の、南国の熱帯雨林のような様相を呈するバーンスタインの表現も、シベリウスのある一面だと捉えられなくもなく、繰り返し聴くたびに「発見」があり、閉ざされた世界において、不信に満たされた人間関係において、自ら心を開けっぴろげにしてみると意外にすんなりと「わかり合えるものなんだ」ということを諭してくれるよう。

シベリウス:交響曲第1番ホ短調作品39
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1990.2Live)

ティンパニの強烈な打ち込み!第1番の土俗的な魂が一層強調される。金管の雄叫びのような強奏と弦楽器のうねるような響き。死の8か月前のものとは到底思えない真に生命力に富んだ演奏(最晩年のバーンスタインのポートレートをあしらったジャケットも素敵)。

ところで、茶湯で「思相(おもあい)」という言葉があることを教えていただいた。ひとつの茶碗の薄茶を複数で分け合うことをいうらしい。互いに思い合うということにも通じる。そういえば、一つの地球を人間は共同で使っているんだということをあらためて思う。「おもあい」、良い言葉である。

シベリウスの第1交響曲には祖国フィンランドへの思いがたぎる。全国民がひとつになり、自立するのだという思い。そして、すべてはひとつに。それは「思相」に通じる・・・。


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>一つの地球を人間は共同で使っているんだということをあらためて思う。「おもあい」、良い言葉である。

その言葉を本当に確信し、ご自分でも実践されるのですか? 絶対ですね。日本人の99パーセント同様、机上の空論、総論賛成各論反対は駄目ですよ(笑)。

では、リトマス試験紙として、珍しく新譜の話題を(笑)。
次のCDを3日以内に買って、感想をお聞かせください。

ブルックナー:交響曲第9番、シベリウス:交響曲第2番、ニールセン:交響曲第4番、第5番 
ドゥダメル&エーテボリ交響楽団
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4106990

私は発売直後に買って聴きましたが、いろいろな言いたいことはありましたが、結局のところは大いに楽しめました。じつに個性的な名演です。
小姑的クラヲタが自分の経験則をもとにブツブツ悪口言って、こういう人類愛や元気あふれる次世代の前途有望な指揮者を、無理解ゆえに「浅い」などと評して、潰そうとすることは慎みましょう。

「才能豊かな君を、心から応援しよう」
バーンスタイン先生なら、きっとそうおっしゃるはずです(笑)。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。

>その言葉を本当に確信し、ご自分でも実践されるのですか? 絶対ですね。

絶対です。ただし、僕はいつも皆さんにワークショップなどではお伝えしているのですが、まずはそういう当たり前の事実に気づくことが大事だと思うのです。もちろん言行一致の努力は必要ですが、必ずしも100%は無理かもしれません。でも、努力をする、意識はする。それが大事なのではないしょうか?

ここのところ地球も一つの生き物なんだということをあらためて実感します。一人でも多くの方の意識が変われば世の中は変わると思います。

リトマス試験紙、受けようではありませんか!!
名門エーテボリ響が招聘するくらいですから「何か」があるのでしょう!
あらためて感想をどこかでお伝えします。
少々お待ちを。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む