Chick Corea:Return To Foreverを聴いて思ふ

corea_return_to_foreverイーヴォ・ポゴレリッチのベートーヴェンは衝撃だった。その音楽がいまだに脳裏から離れず。少し前までの彼は生きながら死んでいた。しかし、どうやらその状態を乗り越え、今や死の内側で生き永らえるという術を獲得した解脱者と化したよう。
そのことは、ヘ長調ソナタ作品54に明らかに投影されていた。ソナタ形式を持たない2楽章制の変則ソナタ。30代前半であってもベートーヴェンはすなわちベートーヴェンだ。晩年の類を見ない崇高な世界に通じる孤高の境地を見事に垣間見せてくれたピアニストがこれまで他にいたのか・・・。

東洋哲学を源とする。ラテンの血が騒ぐとしても魂は同じ泉より。ベートーヴェンから170年を経て世に問われた傑作。ここでは「人生は楽園であり、そして皆で共にゲームに興じるのだと」歌われる。「生の中の生」。しかしここには不思議に死の匂いもするのだ。なぜなら死を経て初めて生は永遠になるのだから。

Chick Corea:Return To Forever(1972.2.2-3録音)

Personnel
Chick Corea (electric piano)
Joe Farrell (flutes, soprano sax)
Flora Purim (vocal, percussion)
Stan Clarke (electric bass, double bass)
Airto Moreira (drums, percussion)

タイトル曲含め全4曲、ここには「永遠」が閉じ込められる。
僕はこれまでの人生でどれほどこの音盤を聴いてきたことか。そして、一度聴き出すと何度も繰り返し聴きたくなるオーラを持つ。
“Crystal Silence”のアンニュイな響き。続く名曲”What Game Shall We Play Today”におけるフローラ・ピュリムのヴォーカルの巧さが際立つ(”La Fiesta”においても)。

1972年当時、これらの音楽ジャンルは何と「フリー」だと認識されていたのだと。チック自身が語るようにフリーとは「何でも好き勝手」という意味ではない。その字の通りまさに「解放」だ。そこにこそ自ずと「美」が現れるのだ。

私はフリーという言葉は、美しきものへの選択、美しきものへの追求を目的としていると解釈している。
~ライナーノーツより

そう、ベートーヴェンの革新にもいつも「フリー」精神があった。

 


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2 COMMENTS

岡本浩和の音楽日記「アレグロ・コン・ブリオ」

[…] ちなみに1曲目の”Felon Brun (Brown Hornet)”とラスト・ナンバー”Mademoiselle Marby”がチックとホランド加入後のもの。明らかにハービーの性質とは異なるチックのエレクトリック・ピアノ。後の”Return To Forever”にも通じるラテンの血が騒ぎ、リズムが躍動する(こういうセンスをどこかで聴いた・・・。キャノンボール・アダレイの何かのライブ・アルバムだったか・・・)。 […]

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マイルス・デイヴィスの「キリマンジャロの娘」を聴いて思ふ | アレグロ・コン・ブリオ

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