カール・ベームはやっぱりライブの人だ

キャリア・カウンセリングに携わっていると、とても多くの若者が「好きとは言えない」仕事に就いていることが見えてくる。もちろん大半の人たちは割り切って仕事をしているのだから問題ないのだが、それでも三十路を越えたあたりからいろいろと不安を覚えるようになるみたい(そういえば僕もその年頃の時は同じようだった)。そういう時はとにかく悩んで徹底的に自分を振り返って、そしていっぱい考えてみると良い。かなり曖昧なアドバイスだけれど、いずれにせよ決断するのは本人、選択するのも本人。自分が納得ゆくまで考えて、行動して・・・。
「好きなこと」がそのまま仕事になって食べていけるなら、それは本当に幸せなことだ。そんな人は氷山の一角だろうけど・・・。

人生はいつも思わぬ方向に転じる可能性を持つ。僕だってまさか音楽の世界に再び立ち戻って関わりを持つようになるとは少なくとも6年前は思いもよらなかった。それでも、細々とでも発信を続けていると「何か」が生れるというのは確か。音楽を聴く行為を含め、その世界に片足だけでも突っ込めていることに今は感謝の念でいっぱい。

さて、今週は必要あって新ウィーン楽派近辺をおさらい中(週替わりであちこち時代やジャンルが飛ぶから忙しい・・・笑)。夜更けの今もシェーンベルクの初期作品。

ドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」は、フランス語独特の節回しと作曲家特有の官能性を秘めた音楽が絡み、極限の静けさの中にワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」以上のエロスの芳香を漂わす(こちらはワーグナーの呪縛を完全に振り払った)。
シェーンベルクが同じ頃に同じ戯曲を題材にした作った交響詩は、まだまだワーグナーやマーラーの影響下にあり、「浄夜」や「グレの歌」ともども大変に聴き易い。こちらも極めて官能的な音楽だが、ドビュッシーの方法とは真逆。大管弦楽を使って聴く者を確かに翻弄する。なるほど、地域性というか言語の違いというか、そのあたりも突っ込んで研究すると面白いかも。僕は長い間ドイツ音楽至上派だったからほんの最近までドビュッシーは眼中になかった。そのことが今となっては随分損をしたと後悔。やっぱり勝手な「思い込み」はいかん。

シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」作品5(1969.6.1Live)
R.シュトラウス:交響詩「死と浄化」作品24(1963.5.19Live)
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

この演奏は実にすごい。いつ何時聴いても痺れるほどに感動する。燃えに燃えるベームの真骨頂!
音のひとつひとつが有機的に絡み、特に打楽器の使い方など聴いていてほれぼれするほど。もちろん当時のウィーン・フィルハーモニーの力量も相当なものだったろうし(「ペレアス」前半の大太鼓の一撃など卒倒もの。「死と浄化」の後半のティンパニのロールだけとってみても震えが止まらないほど。全編にわたる金管の咆哮も凄まじい)!
カール・ベームはやっぱりライブの人だ。


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