これといって何か特別なことがあったわけではないのだけれど、何だかとても大事な日に居るような気がした。早朝のお日様はことのほか眩しかった。講義をするときも、時間潰しのためにお茶をするときも、どこか心ここに非ずな感じ。もちろん意識の上ではきちんと目の前のことに対処できているし、大きな問題も起こってはいない。そこには普段と全く変わらない僕がいて、何の変哲もない日常があるだけ。でも、やっぱり「何か」が違っていた。
午後、多摩センターあたりで一杯の珈琲をいただいた。たまに飲むと刺激的。それと、最近は滅多にヘッドホンで音楽を聴くことはないのだけれど、今朝出がけにふと思って、ある音盤をiPhoneに仕込んでおいてそれを聴いた。それで、すごく吃驚した。
大変な盲点だったかも。
こんなすごい音楽をこれまでほとんど顧みずにいたのかと思うと妙に悲しくなった。クラシック音楽を、ベートーヴェンの作品を本当に長く愛聴してきたが、どういうわけかこれは真面目に聴いてこなかった。そういう自分を恥じた。
ベートーヴェンはいつでもベートーヴェン。まったく証拠も何にもなく、僕の独断に過ぎないのだけれど、おそらく彼は若い頃(あるいは1802年前後)「悟った」んだろうとこの音楽を聴いて直感した。
それは、「ハイリゲンシュタットの遺書」を乗り越え、ロマン・ロランをして「傑作の森」と言わしめた時期にちょうど入り行く時にあたる。一般的に「遺書」と呼ばれるものの最近の研究ではこの時ベートーヴェンには自殺の意志はなかったらしい。でも、その意味深な内容から推測するに、内面に途轍もない大きな事件が起こっていたことは間違いないように思われる。でなければ、「エロイカ」交響曲のような、あの巨大で深遠な音楽が突如として現れることの説明がつかない。
そして、ある英雄に捧げたこの大シンフォニーと同じくこのオラトリオも「大いなる力」に向けて創造された恐るべき音楽なんだろうと理解した。「大いなる力」とは自身に内在する神のことを表すのか、あるいはイエス・キリスト、すなわち救世主を表すのか、それはわからない。ひょっとすると世間では秘密結社といわれるフリーメイスンが関わっているのかもしれないなどとも考えながら・・・。
「エロイカ」にフリーメイソンの影響が指摘されるように、このオラトリオにもその影響があるのかも。なぜならモーツァルトの「魔笛」との同質性が見えるから。例えば、終曲の、すべてが解放され拡がり行くさまはかの歌劇と同じように光が下りてくる。
使徒たち
ああ、私たちは彼のためにまた憎まれ、追われるだろう!私たちは縛められ、拷問と死を与えられるだろう。
イエス
私の苦しみはやがて消え失せ、救済の業は成就し、やがて地獄の力はまったく克服され、打ち克たれるだろう。
終幕の合唱
世は崇高なる者、神の子に感謝と敬意を歌う。汝たち天使の合唱よ、声たからかに神聖な歓呼の響きのうちに彼を讃えよ!
(海老沢敏訳)
ベートーヴェン:オラトリオ「かんらん山上のキリスト」作品85
シルヴィア・ゲスティ(ソプラノ、ゼーラフ)
ヨセフ・レティ(テノール、イエス)
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バス、ペテロ)
ベルリン放送大合唱団
ヘルムート・コッホ指揮ベルリン放送交響楽団(1970.10.28録音)
1803年4月5日、アン・デア・ウィーン劇場における自主演奏会ではベートーヴェンのできたばかりの音楽が公開初演された。すなわち、交響曲第1番&第2番、ピアノ協奏曲第3番、そしてこのオラトリオ。中でも最も人気を博したのが「かんらん山上」で、年内に3度も再演されたらしい。
フランス革命後の慌ただしくも不穏な空気の漂う情勢の中で、多くの人々が求めた「救い」がベートーヴェンのどの音楽にもあったのかも。それは、実際に聴いて感じてみることで納得できる。彼が「楽聖」と呼ばれる所以はそういうところにあるのだろうか。
お書きになりましたか…まずは岡本さんの決断に敬意を表します。
初心者(私を含む)に向けて、周辺情報の補足を。
「かんらん山」とはキリストが十二使徒との最後の晩餐の後、弟子の
ペトロ、大ヤコブ、ヨハネを伴い、父なる神に祈りを捧げに行った丘の
ことであり(イスラエル東部に位置する丘陵で標高は800mほど)、
ここでイエスは捕縛されることになります。
※本来は「オリーブ山」とされるべきところを、聖書での誤訳がそのまま
当てられ、「かんらん(橄欖)山」とされています。
イタリアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティアポロの作品に
「オリーブ山上のキリスト」(1750年頃の作とされる)がありますので、
興味がある読者の方は検索してください。
岡本さんの仰る、正に「光が下りてくる」とは何かを理解する一助に。
岡本さんの頭(心?)の中にだけ置いておくより、言葉にして出して
しまった方が形が纏まって行くと思うので、今後に期待しております!
「何を今更」と嘲笑されそうですが、これ、もしかしたら「バッハおもしろ
雑学事典」の共著者の加藤拓未氏と同一人物かしら?
成立時期に関する論文のようですね。
http://www.ri.kunitachi.ac.jp/lvb/rep/2004/kato04.pdf#search='%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88‘
>みどり様
おはようございます。
決断というほどたいそうなものではないですが・・・(笑)
リンクいただいた加藤氏の論文にも記されていますが、アルブレヒト氏の仮説に拍手ですね。
僕の場合、何となくカンでそうではないかと勝手に書いているだけで、これほど綿密に調べ上げられているのを見ると、やっぱりそうかと膝を打ってしまいます。
あの「ハイリゲンシュタット」の時期が分岐点でしょうね、ベートーヴェンの。
それと、これも勝手な直感なのですが、作品番号のついていないベートーヴェン作品に意外に鍵があるのではとも思っています。ただ、これらの作品の音源がなかなか見当たらないので、音で確認するのが難しいというのが難です。
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[…] 品81a第1楽章のスケッチの後に書かれている意味深な言葉だが、(隠れた)名作「かんらん山上のキリスト」出版に当ってのメモ書きらしく、それがまた彼の悟りの道筋を示しているよう […]
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