アルゲリッチ&フェルバーのショスタコーヴィチ協奏曲第1番ほか(1993.1録音)を聴いて思ふ

のちに作曲家は一人の生徒に、最初はトランペット協奏曲にするつもりだったことを打ち明けた。トランペット独奏部がなかなか書けず、ピアノを加えたことから、それが二重協奏曲に変り、ついにはピアノがトランペットの陰を薄くしてしまったということだった。
ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P104

主題にショパンの風を感じるも、すぐさまショスタコーヴィチ節全開。旧ソヴィエト連邦の、二枚舌作曲家の、人を嘲笑うかのような方法に翻弄されながらも、彼の絶妙な息遣いと、旋律の宝庫に、僕たちはいつどんなときも、いつの間にかはまってしまうのである。これぞ、ショスタコーヴィチ・マジック。

相変わらずの超絶技巧の独奏楽器。オーケストラ奏者ももちろん気を吐くが、何よりトランペット奏者の目くるめく緊張感。それを、ものともせず、終始弾け、同時に美しい音色を奏でるギイ・トゥーヴロンの類稀なる力量。巧い、巧過ぎる。

1933年のドミトリー・ショスタコーヴィチ。
かの「マクベス夫人」を書き上げ、おそらく体制に果敢に挑戦しようと(?)内心目論んでいたであろう作曲家の可憐な果たし状。ピアノは浪漫の雰囲気を煽りながら、いかにも20世紀的な音調を織り交ぜ、聴く者を煙に巻く。中断せず続けられる4つの楽章は、統一感あり、音楽は20分余りで華麗に駆け抜ける。

久しぶりにマルタ・アルゲリッチのハイドンを聴きたくなって取り出したのだが、カップリングのショスタコーヴィチにはまってしまった。色気と剽軽さを併せ持つアルゲリッチのピアノが、ショスタコーヴィチの音楽に見事に感応する。
短い第3楽章モデラートの、スピード感のあるピアノの、繊細な美しさ。アタッカで続く終楽章アレグロ・コン・ブリオの勢いと勝利の雄叫びは、洒落ていながら野獣的響きに満ち、最高の出来。

・ショスタコーヴィチ:ピアノと弦楽オーケストラのための協奏曲作品35
・ハイドン:ピアノと管弦楽のための協奏曲ニ長調Hob.XVIII:11(カデンツァ:ワンダ・ランドフスカ)
ギイ・トゥーヴロン(ソロ・トランペット)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
イェルク・フェルバー指揮ヴュルテンベルク室内管弦楽団(1993.1録音)

一方の、ヨーゼフ・ハイドンの協奏曲は、1784年頃に作曲された(彼はエステルハージ家に仕えていた)、元々はチェンバロ、またはフォルテピアノのための(この時期、ハイドンはまだハンマークラヴィーアを持っていなかったそう)協奏曲。
古典派の枠を超えた(ように聴こえる)浪漫の躍動感(第1楽章ヴィヴァーチェ)は、アルゲリッチのなせる業。何より第2楽章ウン・ポコ・アダージョの明朗でありながら悲しい旋律に陶酔。それにしても、ランドフスカによるカデンツァの絶対美。
終楽章ロンド・アルンガレーゼは、愉悦の極み(ピアノの細かい動きが、猛烈なスピードを示すものの深い呼吸を感じさせるのはアルゲリッチの天才)。

瑞々しいピアノの音色。
たった今生まれたばかりの如くの音調。
筆舌に尽くし難い音楽の妙。

 

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