ブル7聴き納め・・・

bruckner_matacic_7.jpg最近の情勢はよくわからないが、ブルックナーは女性にあまり人気がなかった。今日の「早わかりクラシック音楽講座」のテーマはブルックナーの交響曲第7番で、朝比奈先生の聖フローリアン・ライブを中心にじっくりと聴きながら講義を進めた。それでなくとも長大な交響曲なのに、残響効果抜群のマルモア・ザールでの演奏は一層「間延び」した印象を与える。「間延び」といっても決してマイナスの意味ではない。ふくよかな響きと楽器と楽器が溶け合うまさにハーモニーは涙が出るほど美しい(相方に言わせれば大フィルのホルンの拙さが気になってしょうがなかったと・・・。まぁそのあたりは大目に見ましょ・・・)。
僕などは高校生時分からのめり込んで聴いている口だから、否定的見解、斜に構えた見解など持ちようがないのだが、女性に聞いてみると「ならでは」の意見が聞かれるところが面白い。
例えば、「それにしてもしつこいほど繰り返すよね・・・」
うーん、男は「しつこさ」が命みたいなところがあるね。ブルックナーもご多聞に漏れず、私生活では一生若い女の子のお尻を追いかけまくったし・・・(いつも気味悪がられ拒絶されてたけど)。名声や地位にも死ぬまでこだわったし・・・。
女性はそういう意味では「淡白」なのだろう。女性にあまり人気がないのは外見の野暮ったさだけでなく、くどいほどの「執着心」も大いに影響しているのだろう。

講座の詳細はまた後日に回すが、終了後の懇親会を含めて大いに盛り上がった。いつものように菜食料理を振る舞い、ビールで語り合う。音楽の話やら漫画の話、芝居の話から落語の話までネタは尽きることがない。

ブルックナーじゃないが、人って誰でも「評価」って気になるものなんだとあらためて感じる。自分のことを誰がどのように感じ、思ったのかとても気になるのだ。ただ一方で、何事も「良く」しようとするなら、次回の役に立てるためにアンケートを取って「評価」を知ることはとても重要だけど。

ブルックナー:交響曲第7番ホ長調
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

しつこくブル7を聴く。しばらく聴き納めのつもり。昔から名演と評されるスプラフォン・レーベルの名盤。高校生の時、先述の朝比奈&大阪フィルのライブとあわせて何度も繰り返し聴いたもの。今でも不思議に思うのが、第1楽章第1主題の2度目の提示の時にホルンが木霊する個所。楽譜には記載されていないようだし(それともそういう版があるのか?)、他の指揮者でそういう解釈をしている演奏を聴いたことがないので、「一体この音は何なんだろう?」と昔から思っていた。マタチッチの他の演奏でもこういう解釈はないから余計に首を傾げるのだ。昔どこかで、このホルンの音についての注釈が書かれていたのを読んだ記憶もあるが、どういう内容だったか覚えていないので、わかる方がいらしたら教えてください。

それにしてもワーグナーの死を意識して書かれたという第2楽章は絶品である。


6 COMMENTS

ほんだぱん

わたしにとって久しぶりの講座、楽しかったです。ありがとうございました。
ブルックナーの人間くさいところが、大変興味深かったです。
確かに音楽は神聖な響きでしたけど、人となりを知ると神聖なものの全てが俗物の裏返しのようで、神聖さが純粋さがより一層もろいもののように感じました。そんなとこばかりが気になって、旋律はひとつも覚えていないのですが、初めて聞くマイナーなクラシック(←すみません)で寝ることなく(←返す返す、すみません)、たくさんの妄想を膨らましながら、時々妄想から思い出とかにぶっ飛んだりしながら、へんてこな楽しみ方をしてしまいました。
あそこまで人間臭い側面を見ると、神聖な響きも俗物的なところがあったからこそ生まれたような気がしてしまいます。どんな人間にも、陰陽や強弱などの両面が絶対にあるけど、ただ、天才はその両面の落差が半端なく、だからこそ天才なのかしら?と思いました。

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雅之

おはようございます。
ブルックナーの音楽は、男の「性行動」、「性衝動」に、心の奥底ではどこかで繋がっているのだと思います。これはブルックナーが好きな私の男の友人の、全員が口を揃えて言う感想です。もし女性で「ブルックナーが好き!」という人がいたら、間違いなく、男とは異なる脳の部分で聴いていると思いますよ。
ご紹介のマタチッチ盤で聴くことのできる第1楽章の冒頭、第1主題2回目の直前のホルン・パッセージは、ハース版にもノヴァーク版にも、ブルックナー自身の意向であるか疑問であるとして採用されなかったものです。初演(1884年)の直後、例の箇所にシャルク兄弟(兄はピアニスト)の勧めによる「トライアングル、シンバル、トライアングル」の追加や、弟子たちがロマン派的なテンポの変化などを書き加えたと思われる部分を採り入れた、1885年出版の「改訂版」には入っていました。ちなみに、後の「ノヴァーク版」との大きな差はこの部分くらいのものです。シューリヒト&ハーグ・フィル(1964年)や、ヨッフム&ベルリン・フィル(1964年DG盤)、ヨッフム&ACO(1986年昭和女子大学人見記念講堂ライヴ)などの録音でも聴くことができます。個人的にはこのホルン・パッセージ、好きなのですが・・・。
こういう「版」の相違を論ずること自体も、極めて男の「オタク」的で、ブラームスの時とは違います。やはり、絶対ブルックナーは女には理解できないと思います。
私を含めブルックナーの好きな男達は、「アキバ系」と似ていると思います(苦笑)。

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雅之

先程のコメント、「トライアングル、シンバル、トライアングル」は「トライアングル、シンバル、ティンパニ」ですね。いつもすみません。
ついでに、昨日の娘のピアノ発表会、無事終わりました。ありがとうございましたm(__)m

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岡本 浩和

>ほんだぱん
昨日はありがとう。そしてコメントありがとう。
よくぞ寝ないで聴いてくれました(笑)。
>どんな人間にも、陰陽や強弱などの両面が絶対にあるけど、ただ、天才はその両面の落差が半端なく、だからこそ天才なのかしら?と思いました。
そういうことだと思います。女優でも「天才」って言われる人はその辺は半端ないでしょ?

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>ブルックナーの音楽は、男の「性行動」、「性衝動」に、心の奥底ではどこかで繋がっているのだと思います。
そうそう、「言葉」にするとそういうことですね。おっしゃるとおり、女性とは「違う感覚」で聴いているんだと僕も思います。
あと。ホルン・パッセージの件ですが、確認してみるとヨッフム盤やシューリヒト盤でやってました。他で聴いたことがないというのは嘘です(笑)。なるほど「改訂版」での指示だったんですね。何か根拠はあるんでしょうかね?それとも弟子の勝手な解釈?僕はあってもなくてもいいと思うんですが・・・(聴き逃しているくらいですから・・・笑)。
>極めて男の「オタク」的
>「アキバ系」
まさに!(笑)

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