失敗作という名の傑作

今日は一日、週末のクラシック音楽講座の資料作りのためラフマニノフ漬け。第2協奏曲創作の遠因となった偉大なる失敗作(?)である交響曲第1番を皮切りに、モスクワ音楽院在籍中に産み出した傑作「前奏曲嬰ハ短調作品3-2」、そして課題曲「ピアノ協奏曲第2番」の様々な音盤をスコア片手に聴き通す。
ラフマニノフは19世紀末から20世紀にかけての作曲家にもかかわらず、その作風は極めて浪漫的で、何かと「前時代的」というレッテルを貼られ、決して玄人好みでない(?)作品を数多く残したことで有名である。しかしながら、彼の伝記を幾つか読んだり、冷静に楽曲を分析しながら聴き進めていくと、実は「革新性」豊かな音楽を書いていることがよくわかってとても面白い。

特に、1897年に創作された第1交響曲の初演失敗(当時の大衆にはわかりづらい晦渋な音楽である)により神経衰弱に陥り、以降しばらくノイローゼで全く創作活動をストップした後、ニコライ・ダーリ博士の催眠療法で自信を回復し、かのピアノ協奏曲第2番が生まれたわけだが、あらためて件の交響曲を聴いてみると、それほど失敗作とは思えないし、むしろラフマニノフの全作品の中でも斬新で実は出色の出来なのではないかと思わせるところがこれまた不思議でもあり、面白くもある。

ラフマニノフ:交響曲第1番ニ短調作品13
シャルル・デュトワ指揮フィラデルフィア管弦楽団

作曲者22歳の時に書き上げられた50分弱を要する大作。ラフマニノフの代名詞となっている浪漫的なロシア的憂愁とはほど遠い「憂鬱さ」を前面に押し出した最高傑作。ラフマニノフ自身は生涯最も思い出したくない楽曲として何度も言及しており、都度改訂をしたいと望んでいた作品である。しかし、家財道具一式をすべて置き去りにしたままロシア革命を逃れ亡命したゆえ、結果的に修正することができなかったという。自筆譜も革命の混乱により失われてしまった。
以前第2交響曲について言及した際も書いたが、デュトワの振るラフマニノフはとても安定感があり、音彩豊かで廃盤にしておくにはとてももったいない。何とか再発にならないものか・・・。

ところで、世界同時株安である。すべてはアメリカの金融不安が要因らしい。しかし、僕にはどうも不自然に感じられる。誰かが裏で操作している、そういう「不自然さ」をどうしても感じてしまうのだ。昨日Yさんと話していて、去年までは「掛け算」の世界だったのが今年は「割り算」になるのだという。すべてが集約され、「真実」のみが残っていくその前触れとなるべき大事な年である。

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » 蘇るヴェンゲーロフのグラズノフ

[…] ・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35 ・グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲イ短調作品82 マキシム・ヴェンゲーロフ(ヴァイオリン) クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1995.5録音) アレクサンドル・グラズノフはペテルブルク音楽院の院長まで務めたロシア帝国及びソビエト連邦の誇る教育者であり、大音楽家であるが、ドビュッシーやストラヴィンスキーなどの新しい音楽を嫌悪し、その作風が前時代的なものだったこともありプロコフィエフやショスタコーヴィチら新進からは「時代遅れ」と揶揄されていた。 それに、ラフマニノフが自身の第1交響曲の初演をグラズノフに委ね、彼のお陰で大失敗し(酩酊状態で指揮をしたことが原因だというのが有力)、それがきっかけで心身症に陥ったというのは有名な話で、いずれにせよ彼が堅物である反面人柄的には極めてルーズな側面も持っていた「変人」だったことがわかって面白い。 […]

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