セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル ベートーヴェン オラトリオ「オリーヴ山上のキリスト」ほか(2017.5録音)

イエス
私の苦しみはやがて消え、
救済の仕事は成就する。
まもなくすべて乗り越えられ、
そして冥土の力が勝利する。

大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P548

終結合唱直前の、武者たち、弟子たち、そしてイエスの重唱の華麗さ。最後にイエスが一人静かに歌うシーンの神々しさ。

以前、ヘルムート・コッホ指揮ベルリン放送交響楽団によるベートーヴェンのオラトリオ「オリーヴ山上のキリスト」を聴いたときの感動を書いた。「英雄(エロイカ)」という革新的大交響曲に至るその前段にこういう優れた作品があったことを僕はすっかり見逃していた(聴き逃していた)ことを恥じた。

ベートーヴェン生誕250年を記念して次々録音されるレイフ・セーゲルスタム指揮トゥルク・フィルによるベートーヴェンの隠れた佳作の録音は、どれもが人後に落ちない大変な名演揃いだ。それにしても「オリーヴ山上のキリスト」の素晴らしさ。

ここに見られる、悲痛な苦悩で始まり最後は歓喜に至る、という全体構図は、これ以後に書いていくシンフォニーによく指摘される、いわゆる「闘争から勝利へ」、あるいは《フィデリオ》におけるフロレスタンの「獄中の苦悩」から「解放」へ、という図式が作品に初めて反映されたもので、ここにはそれらの原型があると言ってよいのではないか。
~同上書P552

大崎氏の指摘に快哉を叫ぶ。

この作品はベートーヴェンのそれまでの創作活動の総決算、と言っても過言ではない。シンフォニーを中心とした視点では第2番から第3番への飛躍は途轍もなく大きいとしか映らないが、この作品を目の当たりにすると、次に《エロイカ》に進んだことが自然な道程のような気がしてくる。
~同上書P552

その上で、大崎氏が指摘する、ベートーヴェンの例の遺書との呼応、すなわち、「悪しき聴覚」=「受難」、「私を引き戻した芸術」=「イエスの救済の仕事」という見方こそまさに真だと僕は思う。これは、ハイリゲンシュタットの遺書を経ての悟りへの第一歩と言っても言い過ぎではないだろう。

ベートーヴェン:
・オラトリオ「オリーヴ山上のキリスト」作品85(1802-03)
・弦楽オーケストラ伴奏合唱曲「悲歌」作品118(1814頃)
ハンナ=リーナ・ハーパマキ(天使セラフ、ソプラノ)
ユッシ・ミュリュス(イエス、テノール)
ニクラス・シュパンベルク(ペトロ、バス)
アボエンシス大聖堂聖歌隊
レイフ・セーゲルスタム指揮トゥルク・フィルハーモニー管弦楽団(2017.5.15-17録音)

厳粛に開始されるオーケストラだけの序奏の、神妙なる美しさ。セーゲルスタムの敬虔な思念がこもる。全編を通して紡がれるイエスの受難の物語の大いなる解放の音。やっぱり僕は感動し、繰り返し何度も聴いた。とはいえ、本盤に関する最大の収穫は、「悲歌」なる未知の作品に出逢えたことだ。これは、1814年8月5日の、家主であり生涯の友であったパスクァラーティ男爵の亡き夫人の3回忌に合わせて作曲されたものだが、どうやら期日に間に合わず、完成は9月にずれこんだようである。「生けるごとく安らかに」、その音楽は静謐で切なくもまた美しい。

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