姉弟の愛

先日来、折を見てファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの歌曲集を取り出して聴いているのだが、これが実に良い。栄えある作品1の「6つの歌曲」第1曲「白鳥の歌」(ハイネの詩による)から、ファニーの世界に惹き込まれる。この作品、出版までにはいろいろな苦労がある。もちろん当時の彼女の立場(何より女性であること)がすんなりとことを運ぶために障害になったのだが、二の足を踏ませる大きな原因の一つに弟フェリックスの存在があった。

「・・・笑われようが、笑われまいが、私は14歳の時にお父さんが恐かったように、40にもなって弟たちが恐いのです。あるいはもっと正確に言うと恐いという言葉は正しくありません。私は、全生涯を通して、あなたたちや私が愛するすべての人達から気に入られたいという望みを抱いていたと言うべきでしょう。・・・一言で言えば、私は出版を始めるのです。・・・私はこのことであなたに恥をかかせるようなことはしません。・・・どうか決して不機嫌にならないでください。だって私は、あなたもわかるように、あなたが不愉快な瞬間などひとつも知らずに済むように、完全に自力で行動したのですから。・・・」
(1846年7月9日付フェリックス宛ファニーの手紙)

それに対し、
「今日になってやっと、旅に出る直前に、カラスの兄弟のように恩知らずの弟である僕も、お姉さんの手紙に感謝し、僕達の仕事仲間になるというお姉さんの決意に同業者として同意する気持ちになりました。・・・」
(1846年8月12日付ファニー宛フェリックスの手紙)

さらに、8月14日付ファニーの日記には次のように記されている。
「とうとうフェリックスは私に手紙をよこし、とても愛すべきやり方で同業者としての祝福をくれた。私もフェリックスはそもそも内心では愉快に思っていないことがわかっているのだが、それでもフェリックスがこのことについてとうとう親切な言葉をかけてくれたことを嬉しく思う」

※手紙&日記抜粋はいずれも山下剛著「もう一人のメンデルスゾーン」から

なるほど、ほとんど親子愛か恋愛かと思われるような一種特殊な「姉弟愛」が文面から滲み出て、しかもフェリックスの姉に対する劣等感までもが感じられるような「告白」である。いずれにせよ、ここで賞賛されるべきはファニーの勇気と行動力。その後1年足らずで急逝したため世に送り出された作品の数は圧倒的に少ないが、もしも、もしもファニーがもっと長生きしていたら、後世の作曲家のお手本になる大コンポーザーになっていた可能性もあろうから真に残念(もちろんこれらの手紙からもファニーの相当な気概が伝わってくるから本人ももっと生きてもっと作品を書くつもりだったのだろうし)。

ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル:歌曲集第1集
・6つの歌曲作品1
・7つの歌曲作品7
・5つの歌曲作品10
・アイヒェンドルフ歌曲集
・面影
ドロテア・クラクストン(ソプラノ)
バベッテ・ドルン(ピアノ)

稀代のメロディ・メイカーなり。本当に美しい。聴けば聴くほど心に染み入る、そしてその旋律は頭を離れない。
こんな作品を軽々と書かれたら弟も堪らない。というより、姉弟なのだからそんな「競争意識」などもたなくて良いのに・・・(永遠のライバルだったのだろうな・・・、ゆえに姉の急死から時を置かずフェリックスもあっという間に天に召されてしまった)。

※先日の愛知とし子ピアノ・リサイタルではリスト編による「歌の翼に」が演奏されたが、あの原曲の歌詞もハイネによるもの。ハイネの詩は多くの音楽家に素晴らしいインスピレーションを与え続け、今なお刺激を与える。


6 COMMENTS

木曽のあばら屋

こんにちは。
ナクソスからファニーの歌曲やピアノ曲のリリースが始まったのは嬉しいかぎりです。
彼女の歌曲は本当にメロディが美しいと思います。
ずっと弟の陰に隠れてきたファニー、ちょっとでも注目されるとよいですね。

返信する
雅之

おはようございます。

>稀代のメロディ・メイカーなり。本当に美しい。聴けば聴くほど心に染み入る、そしてその旋律は頭を離れない。

まったく同感です。
フェリックスとファニーの関係は、明らかに近親相姦的な「倒錯愛」ですね。同性愛などもそうですが、「倒錯愛」は芸術創作の大きな源泉なのかもしれませんね。「倒錯愛」には、たしかに「不倫」どころではないスリルのときめきにクラクラしそうで、ここからは大きな霊感を得られそうです。大抵のの刺激に慣れ驚かず、「不倫」はごく日常茶飯事になってしまった21世紀、これからはまた、「倒錯愛の時代」になるかもしれません。

※参考
青柳いづみこ プログラムエッセイ 5 /「新日本フィルハーモニー交響楽団」2004年2/3月号
作曲家をめぐる〈愛のかたち〉 第5回
http://ondine-i.net/column/column071.html

しかし「近親相姦」の世界は、調べれば調べるほど深いです。

・・・・・・一方、ヨーロッパの大貴族でスペイン国王などを務めていたハプスブルク家は血縁が近いもの同士で結婚を行っていたのだが、病弱な子供が生まれたりもしていた。フェリペ2世は姪のアナ・デ・アウストリアを、フェリペ4世は姪のマリアナ・デ・アウストリアを妻にしている。男系のスペイン・ハプスブルク朝は17世紀にカルロス2世で断絶するも、スペイン王家は女系を通じ存続しており、19世紀になってもフェルナンド7世は姪のマリア・クリスティーナ・デ・ボルボンを妻にし、後の女王イサベル2世を儲けたりしている。

ローマ法王アレクサンデル6世の娘ルクレツィア・ボルジアは兄チェーザレ・ボルジアや父と近親相姦を行っていたとして訴えられたりした。ルクレツィアのものであるとして流布された肖像画が黒百合の風情によく似ていることからこの話は広まったとも言われている。

中世ヨーロッパではこういったことで訴えられる例が多く、全くの無実とみられる場合も少なくなかった。有名な例として、イングランド王ヘンリー8世がアン・ブーリンと離婚したいがために、彼女が弟(兄の可能性もあり)のジョージ・ブーリンと近親相姦をしたとして訴え、弟もろとも死刑にしたことなどが挙げられる。なお、彼女の娘がエリザベス1世である。中世の暗黒時代において、魔女の宴で息子は母と、兄弟は姉妹と性交するものと信じられていた。

イタリアのベアトリーチェ・チェンチは、家族と謀って従者に父親であるフランチェスコ・チェンチを殺害させた罪で死刑判決を受け斬首刑によって処刑されたが、父親を殺害した理由は父娘姦に耐えかねたためだったという伝承が残っている。

1662年に、モリエールは20歳年下の一座の女優アルマンド・ベジャールと結婚した。だが、母親は実は彼の恋人であったマドレーヌ・ベジャールであったため、娘と結婚したのではと疑惑になった。モリエール自身はこれに対しアルマンドはマドレーヌの妹であると主張した。現在でも妹なのか娘なのか(非嫡出子の可能性は高いが)、娘であったとして他の男との子供なのか彼自身の子供なのか、はっきり分かっていない。

フランス革命の際、極左勢力のジャック・ルネ・エベールは王妃マリー・アントワネットを息子ルイ17世と近親相姦をしたとして訴えた。本人は無実を主張したが、最終的に死刑判決を受けギロチンで斬首された。ところが、この革命後の混乱のさなかフランス帝国の皇帝に即位したナポレオン・ボナパルトはフランスで近親相姦を合法化する。

ナポレオン自身も妹ポーリーヌに気に入られていた事が知られている。後に皇帝位を追われた際に一時期ナポレオンはボーリーヌとともにエルバ島で過ごすことがあったのだが、実はこの頃のナポレオンとボーリーヌは男女の関係だったのではとの噂がある。ジャコモ・カサノヴァはかつての愛人ルクレチアとの間に生まれた娘レオニルデと関係を結んだことを、『我が生涯の物語』(邦題:『カザノヴァ回想録』)で誇らしげに述べている。

フランスでは18世紀に入り、あらゆる価値が相対化し、自由思想家の主張した精神の開放が体系化された。思想においてもマルキ・ド・サドなど、家族間の性愛を称揚する動きも生まれた。しかし、この時代のフランスのインセストは「哲学の罪」と言われ、一部の特権階級、すなわち神話やかつての王族に見られるインセストの特権意識を模倣したものであった。

ドイツの作曲家フェリックス・メンデルスゾーンとその姉ファニーの姉弟愛は有名であるが、ファニーがフェリックスの妻レアに対して弟を奪ったことをなじる書簡を送っていることや、フェリックスもファニーの死がもとで精神病にかかり後を追うように死んでいることなど、姉弟愛を超えた恋愛に近い感情を持っていたと考えられる事績が多く伝わる。・・・・・・

・・・・・・(近親相姦は、)現代でも、文化的に許容されている場合もある。ジャワ島のカグラン族では母と息子の近親相姦は繁栄をもたらすとされ重視される。シエラマドレ山脈に住むインディアンの父親と娘は、経済的な理由から近親相姦を行うことがよくあるという。チベットの密教の一つのタントラ教は母と娘を愛欲することで、広大なる悟りを得られると主張する。また、かつても経済上の理由から東アフリカのタイタ族では息子が母や姉妹と近親婚をすることはよくあった。ゾロアスター教においては父と娘、母と息子、兄弟姉妹の結婚は最高の善行であった。一方、近親相姦の禁止について明記していた宗教もあり、旧約聖書はレビ記18章において様々な家族間における性交の禁止を記述している。

日本では男女の双子は心中者の生まれ変わりと考える文化があった。来世で生まれ変わって夫婦になることを誓い合った二人だと考え、片方を養子に出して成人してから他人として結婚させるということが行われた。この場合は双子であっても近親相姦とは考えない傾向があった。・・・・・・・ウィキペディア 「近親相姦」より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A6%AA%E7%9B%B8%E5%A7%A6

ユダヤ教でもキリスト教でも近親相姦は禁じていますが、禁じらればられるほど燃え上がるのが恋愛です。そして、それこそが、メンデルスゾーン姉弟の、芸術への真の創作動機だったのかも・・・。「姉弟で心も体も合体してひとつになりたい」、いかにも中性的な楽曲を聴いて、そんな願いを感じます。

ご紹介の盤、私も素晴らしいと思います。
愛しています、お姉さん!! 

ところで、ユダヤ人、ハイネ。その膨大な、芸術や世界へ与えた影響については、別な日に考察してみたいです。ハイネの世界もまた、「倒錯愛」に匹敵する深さですね。

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岡本 浩和

>木曽のあばら屋様

こんにちは。
ナクソスのシリーズはどれも魅力的で目が離せません。おっしゃるとおり嬉しい限りです。

>ずっと弟の陰に隠れてきたファニー、ちょっとでも注目されるとよいですね。

同感です。まだまだ埋もれた作曲家は多いですが、木曽のあばら屋様は興味深い音盤をたくさん採りあげておられるのでいろいろと参考にさせていただいております。ありがとうとざいます。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。

>フェリックスとファニーの関係は、明らかに近親相姦的な「倒錯愛」ですね。同性愛などもそうですが、「倒錯愛」は芸術創作の大きな源泉なのかもしれませんね。

いやあ、おっしゃるとおりですね。ご紹介いただいたコラムもとても興味深いです。
ヨーロッパに限らず中世では当たり前だったということですが、そう考えると人間は時代と共にいろんな意味で規制をかけ、自由を手放してきたといえますね。この辺りも進化か退化か問われるところだと思います。

>日本では男女の双子は心中者の生まれ変わりと考える文化があった。
これも面白い事実ですね。ジークムントとジークリンデのようです。
とはいえ、「おばあちゃんの知恵」ではないですが、昔の人が考えることは理に適ったことも多いですから、それはそれで何か意味があるのかもしれませんし。西洋化される前の、たった100数十年前の日本も、いってみれば野蛮な生活をしていたようですからね。
研究してみる価値は十分にありそうです。

>「姉弟で心も体も合体してひとつになりたい」、いかにも中性的な楽曲を聴いて、そんな願いを感じます。

確かに!「中性的」とは言い得て妙です。ますますメンデルスゾーン姉弟にはまりそうです。
ありがとうございます。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。

ところで、6月5日付の記事にコメントが入らないということでしたが、
http://classic.opus-3.net/blog/?p=5318

どういうわけかこの日のコメントだけスパム・コメントとして処理されておりました(何が問題なのかはわかりません)。
2週間遅れですが、スパム解除しましたので表示されております。

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アレグロ・コン・ブリオ~第3章 » Blog Archive » ファニー・メンデルスゾーン ピアノ作品集

[…] 何十年も、僕の中でフェリックス・メンデルスゾーンは二流作曲家だった。一部の有名な作品については知悉していたものの、その生涯はもちろんのこと、数多くの室内楽作品についてもつい最近までほとんど知らないという状態だった。3年前の講座で初めてメンデルスゾーンを採り上げたとき、その天才にようやく気づき、フェリックスについてはよりたくさん聴き漁り勉強した。ファニーの存在の重要性をわかりながらも、彼女についての掘り下げはここ数ヶ月のこと。1年近く前に採り上げたピアノ・トリオも素晴らしい作品だと思ったし、先日の「歌曲集」についても感動した。でも、それ以上に感動したのはこのピアノ作品集。本当に素晴らしい! […]

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