優しい、癒しだ。
熱がこもる、迫真だ。
しかしながら、ここには大いなる遊びの精神もある。これこそが文字通り「音楽」なのではあるまいか。
枠があってこその自由である。
自由は制約の中にあるのだと思う。
バッハの音楽がジャズに出逢ったときに起こった奇蹟が、僕たちの目の前の現象すべてが思考の産物であり、しかしまた一方で、そのことが世界の規律を整えているのだと教えてくれた。
束縛と自由は紙一重。ならばその両方を思う存分謳歌せねば・・・。
ジョン・ルイスの音楽性とミルト・ジャクソンの音楽性のぶつかり合いが、MJQの、他には見られない新たな境地を現出させた。
バッハの作品を基にした編曲とオリジナルのブルースを交互に並べることでジョン・ルイスは、あるいはミルト・ジャクソンは「世界が調和の中にあること」を謳おうとしたのではなかろうか。
バッハの音楽はジャズであり、ブルースはまたバッハである。各々の懐の深さはまったく計り知れない。
The Modern Jazz Quartet:BLUES ON BACH(1973.12.28録音)
Personnel
John Lewis (piano, harpsichord)
Milt Jackson (vibraharp)
Percy Heath (bass)
Connie Kay (drums, percussion)
「主よ、人の望みの喜びよ」に基づく”Precious Joy”で、旋律を奏でるミルト・ジャクソンのヴァイブには、何より音楽をする喜びが溢れる。そしてまた、ここには自由に飛翔しようとする魂がある。
続いて、それに応えるかのように奏される8分ほどの”Blues in C minor”には、結果的にミルトとジョンの二人が音楽性の相違で袂を分かつことになるとは思えないほどの一体感が垣間見られる。何という平和!
あるいは、ラスト・ナンバー「平均律クラヴィーア曲集」第1巻から前奏曲第8番変ホ短調に基づく”Tears from the Children”におけるルイスのハープシコードの響きの何という哀しみ。
静かなる鈴の音を聞け―
鉄の鈴。
彼等の挽歌は何という荘厳な思想の世界を現わすことであろう。
夜の静寂に、
いかに我らはその音色の
憂愁の脅迫に恐れて震えることであろう。
その喉なかの錆から
漂う音は
呻吟である故に。
「鈴の歌」
~阿部保訳「ポー詩集」(新潮文庫)P91
エドガー・アラン・ポーが19世紀中ごろに聞いたであろう鈴の音は、果たしてそれほどに恐怖を煽ったのか?
僕には恐れというより、ポーの音に対する執拗なまでの愛着が感じられる。
なるほど、ジョン・ルイスは恐れにも似た愛着をバッハに感じていたのかもしれぬ。
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