1970年3月23日のニューズウィーク誌に掲載されたマイルス・デイヴィスのインタビュー記事には、次のような言葉がある。
俺が「フィルモア」で演奏した理由はただひとつだ。コロムビア・レコードの社長、クライヴ・デイヴィスに出てくれと頼まれたのさ。彼は俺のために骨を折ってくれた。俺の役目はレコードを作ったら終わりだ。だが、彼らは、ブロンド・ヘアーの白人アイドル並みに俺を売ろうとしている。つまりそれは、俺のあとに続く黒人が同じ扱いを受けるということだ。
~ポール・メイハー&マイケル・ドーア編、中山康樹監修/中山啓子訳「マイルス・オン・マイルス」P101-102
マイルスは、裕福な歯科医の家庭に生まれ、貧乏を経験したことがなかったという。彼が音楽界でイノベーターの役割を果たせたのには、ずば抜けた創発力はもとより、幼少から培われた精神的な余裕が大いに働いたのだろうと思う。
俺たちは見世物じゃない。演奏を聴かせるだけだ。俺は観客じゃなくて音楽に溺れているのさ。
~同上書P100
他人の親切を疎かにできなかった彼は、ビジネス的には他人のことをいつも考えていた。そしてまた彼は、ステージではあくまで音楽のことだけを考える人だったのだと思う。
で、オレは、もっと大きなこと、ある作品の骨格みたいなものを考えはじめた。二ビートのコードを書き、二ビートの休止にして、一、二、三、ダダン(one, two, three, da-dum)とやる。いいか、そして四拍目にアクセントを置くんだ。最初の小節には、コードが三つあったかもしれない。とにかくミュージシャンには、思うままに何を演奏してもいいから、今やったように、これだけはコードとして演奏しろと指示した。そのうちに、みんなも何ができるのかを理解してきて、それで生まれたのが「ビッチェズ・ブリュー」だった。コードだけを基に演奏したんだが、すごく多くのことが含まれているように聞こえるだろ。
~マイルス・デイビス、クインシー・トループ著/中山康樹訳「マイルス・デイビス自叙伝Ⅱ」(宝島社文庫)P143-144
ミュートを効かせ、エコーをかけた奇蹟のトランペットが静かに咆える。しかし、ファンキーな金切り音ではなく、そこにあるのは癒しに満ちる優しい電化音だ。
・Miles Davis:Bitches Brew (1970)
Personnel
Miles Davis (trumpet)
Wayne Shorter (soprano saxophone)
Bennie Maupin (bass clarinet)
Joe Zawinul (electric piano)
Chick Corea (electric piano)
Larry Young (electric piano)
John McLaughlin (electric guitar)
Dave Holland (bass)
Harvey Brooks (electric bass)
Lenny White (drum set)
Jack DeJohnette (drum set)
Don Alias (congas)
Juma Santos (shaker, congas)
ウェイン・ショーターのソプラノが良い味を出す”Spanish Key”の幻想。このアルバム自体がほとんどトリップ・ミュージックの宝庫だが、こういう宇宙的拡がりを持ちながら繊細で、しかも決してうるさくない、ある意味「静寂の音」ともいえる音楽こそ、普遍的な、時代を経るにつれ大衆に受け入れられるであろう傑作に違いない。そして、文字通りジョン・マクラフリンのギターを前面に押し出した(5分に満たない)”John McLaughlin”の、後のReturn To Foreverに通じて行くであろう音楽の先鋭さ。あるいは、”Miles Runs the Voodoo Down”での各楽器のソロの自由奔放でありながら完璧にひとつにつながりゆく音楽の奇蹟。
ところで、音の色合いはまったく異なるが、「ビッチェズ・ブリュー」は、音楽そのものに内在する波動は、(個人的には)遡ることドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」(未来音楽!)を想起させる。新たな音楽は新たな音楽を生み、脈々とつながり行く(何と言っても物理的でない静けさの中に垣間見える緊張感!)。
このところ、彼女(メリザンド)をつくりあげている。“無”を追いかけることで日々が過ぎていきます。(中略)今いちばん私を手こずらせているのは、アルケルです。彼は墓の彼方にいるような人間で、その利害関係のない、もうすぐ消え去っていく人間の持つ予言者のような優しさを、全部ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ドで表現しなければならないのです。何というメチエ(専門とする職業の意)でしょう!」(1894年初め、ショーソンへの手紙)
~青柳いづみこ「ドビュッシー―想念のエクトプラズム」(東京書籍)P220
相当な時間をかけて推敲されたあの神秘の音楽の創造の背景には、ドビュッシーのただならぬ天才が渦巻いている。メリザンドは”無“なのである。
・ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」
マリア・ユーイング(メリザンド、ソプラノ)
フランソワ・ル・ルー (ペレアス、バリトン)
クリスタ・ルートヴィヒ (ジュヌヴィエーヌ、メゾ・ソプラノ)
パトリシア・パーチェ(イニョルド、ソプラノ)
ホセ・ファン・ダム(ゴロー、バス)
ジャン=フィリップ・クルティ(アルケル、バス)
ルドルフ・マッツォーラ(医者、バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1991.1録音)
淡いけれど、明確な音作りはアバドの真骨頂。
何より第5幕の、メリザンドの死の場面の素晴らしさ。そして、謎を残す物語を、ワーグナー以上に音楽で巧みに意味深に表現するドビュッシーの天才。さらには、それを見事に再現するアバドの匠の技。
オペラ「ペレアスとメリザンド」初演の間際に、作曲家と戯曲家は不和となり、不和は裁判沙汰にまでおよんだ。メーテルランクがメリザンド役に妻の女優ジョルジェット・ルブランの起用を強く望んだのに、実現しなかったことが不和の原因だという。つまらぬ話である。だれが役者であろうと、われわれは戯曲「ペレアスとメリザンド」、オペラ「ペレアスとメリザンド」を楽しむことができればいい立場にいる。
~メーテルランク作/杉本秀太郎訳「対訳ペレアスとメリザンド」(岩波文庫)P222
ちなみに、訳者の解説には、初演にまつわる争いごとの詳細が記されているが、本当に「つまらぬ話」。こだわらず、自由な魂でありたい(自由とは臨機応変ということ)。
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[…] 挑戦を思った。電化マイルスの頂点たる”Bitches Brew”にあるのはドビュッシーの影だ。 […]