バルビローリ卿のエルガー「海の絵」

メゾ・ソプラノやらコントラルトやら、僕は女性のどちらかというと低い声が好き。
聴いていて何だかゾクゾクするのである、いろんな意味で(笑)。
例えば、マーラーの「大地の歌」でカスリーン・フェリアーのあのくぐもった、幽玄な声色を初めて聴いた時卒倒した。あるいは同じくマーラーの第4交響曲においても終楽章のソロをフレデリカ・フォン・シュターデが務めるアバド&ウィーン・フィルハーモニー盤を僕はいまだに同曲のベスト・ワンだと確信する。
それと、今でこそたまにしか聴かないが、ブラームスのアルト・ラプソディなどは最高の名曲だと思うし(あの曲はどんな演奏でも大抵感動できるからすなわち音楽が僕好みなのだが、やっぱりあのアルト独唱が肝)。

先日、思わずバルビローリ卿のEMIボックスに手を出した。もちろんまだすべては聴けていないけれど、まずはイギリス音楽から攻めてみようと8枚目を取り出した。エルガーの第1交響曲と「海の絵」というカップリング。僕はこれまでの音楽愛好人生の中でエドワード・エルガー卿については残念ながら長らく軽視していた。よって有名どころの作品や必須シンフォニーはひととおり押えてはいるものの、彼の人生の詳細や音楽作品の諸々をよく知らないためその音楽を云々することが憚られる。しかし、このバルビローリ卿の演奏を聴いて、ドイツ音楽に通じる安定感と、フランス音楽さながらの華麗なる音響がミックスされ、それが独特の世界、すなわち英国的なスノッブさの中に、得も言われぬ哀愁感を感じさせる世界を現出していることに感激した。僕は基本的に「お国もの」に拘らないのだけれど、少なくともエルガー卿に関しては、英国人指揮者の再生したものに優るものはないのではと。

エルガー:
・歌曲集「海の絵」作品37
ディム・ジャネット・ベイカー(メゾ・ソプラノ)
サー・ジョン・バルビローリ指揮ロンドン交響楽団(1965.8.30録音)
・交響曲第1番変イ長調作品55
サー・ジョン・バルビローリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(1962.8.28-29録音)

よく見ると独唱はジャネット・ベイカー。この人の歌は色気ありながら決して主張し過ぎず、天空から降り注ぐ調べのようでいつ何を聴いても素晴らしい。さすが、だ。
ちなみに「海の絵」は1899年夏、かの「エニグマ変奏曲」の大成功直後に書かれたものだが、僕の耳にはワーグナーとブラームスの音が木霊する。19世紀後半、ドイツ音楽界を二分する2人の巨匠の、いわば「良いとこどり」というと失礼か・・・、いや、アウフヘーベンされ、エルガーのものとなっていることは間違いなく・・・。
例えば、第3曲「海上での安息日の朝」。エリザベス・ブラウニングの詩に音楽がつけられたものだが、ここでのベイカー女史の絶唱は筆舌に尽くし難い。

大切な恋人との別れの哀しみを、海に在る神によって救われる。
自然とは、大海とは、時に牙をむき、時に癒しとなる。ここにも自然との共生を想う人がいる・・・。

ところで、バルビローリ卿の指揮。ひとこと、上品、それでいて思いのこもる熱演。
第1交響曲については・・・、ほぼ同じ時期にバルトークが第1弦楽四重奏曲を生み出していることを考えると、そのあまりの方向性、作風の違いに驚かされる。当時、ヨーロッパの片田舎とみなされたハンガリーから斬新な音楽が生まれ、ヨーロッパの中心からはどちらかというと保守的な(?少々語弊ありかな)音楽が生れているという事実が真に興味深い。このことについては、いずれまた書こう。

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