世はすべて政(まつりごと)の上に成り立っている。
すなわち、どんな世界(システム)においても最終的には「政治力」なるものがものを言い、それを握っている一部の人々の思うままということだ。音楽の世界も然り。今も昔も・・・。
このところの音楽鑑賞の指針は、直近にある「クラシック音楽講座」のテーマに強く左右される。入門講座とはいえ、その時代背景、そして作曲家の生涯について熟知することで、さらにその音楽に何日も浸ることで少なくとも僕自身がその音楽家及び周辺について全体観をもって語ることが可能になる。それがゆえ。
さくらカレッジの第1回講座ではJ.S.バッハの「管弦楽組曲」を中心に採り上げた。第2回はヘンデルの「メサイア」が中心になる。バッハはともかくヘンデルに関してはこれまで僕は集中的に聴いてこなかった。つまり、彼の境遇や音楽的魅力について今の今までよく知らなかった。しかしながら、様々な文献に出会い、今更ながら重要作を緻密に聴き込むに至り、ヘンデルという作曲家の偉大さ、そして魅力に開眼しつつある。真にお恥ずかしい限り・・・。
ともかくバロック期の2人の巨頭について勉強することは特に面白い。それに、彼らを研究することによって絡みのある音楽家や同時期の作曲家についても興味が湧き、いよいよ収拾がつかなくなり始めている(笑)。とにかく底なし沼、奥深い。
ところで、昔から僕は平行読書が好きで、多くの人にそのことを薦めている。その効用は、図らずもシンクロニシティが起こること。そして「全体観」を養えること。先日から再読中の「赤い楯」(広瀬隆著)もつながった。「原初バブルと《メサイア》伝説~ヘンデルと幻の黄金時代」(山田由美子著)を読み始めたが、止まらない。なるほどと頷くことばかり。歴史の舞台裏を知らずして文化は語れない。この書によるとヘンデルの英国帰化は、そもそもお膝元であったハノーファーのジョージ1世の王位継承問題に大いに連関があるのだと。確かに、天才をいとも簡単に外に出したことの理由としてはわかりやすい。
オランダからイギリスに覇権が移ったちょうどその頃がヘンデルの活動時期と重なっているのは偶然か必然か、奇しくも先の書籍のタイトルに「原初バブル」という言葉が躍るが、そこには当然銀行、ということはロスチャイルド家との関わり、その影が見え隠れするということだ。先日記事にしたステッファーニもヘンデルのイギリス進出に一役買っているというのも興味深い。
ということで、今夜はヘンデルのオペラ・アリア集。
1724年2月20日にロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックにて初演された「エジプトのジュリオ・チェーザレ」はヘンデルらしい明るい色調でどの瞬間も限りなく美しい。
しっとりとしつつも張りのあるデセイの声質はいかにもクレオパトラを歌うに相応しい。
入門講座とはいえ、その時代背景、そして作曲家の生涯について熟知することで,,,
ヘンデルに関する一連の音楽紹介並びにコンブリオさんの考察、とても興味深く読んでいます。おっしゃるとおり時代背景や生涯がわかればわかるほど「なるほど、なるほど、、、」と納得したり音楽の奥の奥へ入って行けたり、、、底なし沼状態になりますね。自分の中に底なし沼が持てるほど幸せなことはないかもしれませんね。いつも新しい「沼」を指し示してくださって、ありがとう!
>Judy様
いつもありがとうございます。
確かに底なし沼が持てることは幸せですね。
何事にも好奇心を持つことが大切だと思います。
今後ともよろしくお願いします。