バーンスタインのハイドン「驚愕」交響曲

講座でヨーゼフ・ハイドンを採り上げた。この人は明らかに「天才」であるにもかかわらず、同時代の他の「天才たち」―例えば、モーツァルト、あるいはベートーヴェンと比較してどうも少し影が薄いような気がしていたが、何だかその理由がわかった。
シューベルトほどではないにせよしつこいのである。メロディも美しく、楽器の使い方も革新的でしかも色彩豊か、愉悦的で申し分ないのだけれど、どうにも飽きるのだ。例えば、「驚愕」と呼ばれるト長調交響曲の第1楽章も、10分ほどの楽曲なのに「長さ」を感じてしまう。有名な第2楽章アンダンテなどは一層そう(変奏曲とはいえ、変奏そのものにひねりが少ないからか・・・)。
ただし、楽曲そのものが長尺でないことが救いで、繰り返し聴くことは決して苦ではない。
それでも今日、ヤンソンス&ベルリン・フィルの演奏とバーンスタイン&ベルリン・フィルの演奏を比較視聴のため連続で聴いてそれだけでうんざりした(笑)。

それはひょっとすると作品そのものの魅力の問題かもしれない。「V字」という名の同じくト長調の第88番ならば意外に聴き通せるかも。いや、それは果たしてどうか・・・、試してみないとわからないけれど。

なるほど「皇帝」四重奏曲についてもそうかも。有名な第2楽章の主題などは何度聴いても心を打たれるのだけれど、全曲を繰り返しとなると辛い(少なくとも現在の僕には)。ならば原曲である「皇帝讃歌」を何度も聴く方がよほど感動的か・・・(笑)。

とはいえ、ベルリン・フィルはさすがの演奏だと思った。個々のプレーヤーの卓越した技術と乱れのない緻密で機能的なアンサンブルの妙味、それを統率するヤンソンスの確信に満ちた棒(指揮棒は持っていないけれど)。一方のバーンスタイン。ウィーン・フィルの音色はもっと曖昧だ。しかしその曖昧さがまた別の「味」を持つことになる。

ハイドン:交響曲第94番ト長調Hob.I:94「驚愕」
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

バーンスタインと言えどもおそらく指揮者はほんの少しの指示を出すだけで、基本的な音楽の流れはコンサートマスターに任されているのかも。バーンスタインの棒が止まった時の、より開放的な音楽の瞬間をとらえるとそのことが理解できる。要は、指揮者は全体観でポイントだけ指示をすれば良いだけ。あとは私たちに任せてくださいと。特に、ハイドンなど独墺系の作品ならばオーケストラはお手のものということだ。

ハイドンは長らくエステルハージ家に仕えていた身だから、それこそつかず離れず、出過ぎた真似はしないという心得がしっかりしていたのだろう。それと一番の強みが「メロディスト」ということ。これだけで冷や飯を食わされることがなかったようなもの。
そうそう、そういえば、講座の中でソナタ形式をご理解いただくためにモーツァルトのト短調交響曲K.550の第1楽章を視聴した。ハイドンの「驚愕」から3年遡る音楽だけれど、まるで格が違う(こういっては元も子もないが)。強いて言うならハイドンは秀才、モーツァルトは天才ということか(あくまで芸術的に。生活するという側面では圧倒的にハイドンが1枚も2枚も上手)。

今日の講座は僕にとっても様々な発見のある意義深い2時間だった。多謝。

 

 


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