クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管のマーラー第7番(1968.9録音)を聴いて思ふ

100分に及ぶ音の洪水。
恐るべき構成力と全体観。

マーラーの交響曲第7番は、晦渋な印象が強く、舞台にかけられる機会も決して多くない。特に、不自然に陽転する終楽章のアンバランスに人々は違和感を抱くようだ。マーラーお得意のシンメトリー構造をもつこの傑作を、弟子であったオットー・クレンペラーはどのように解釈したのか。

とりあえずのところ、クレンペラーにはたったひとつの目標しかなかった。すぐにでもヴィーンのグスタフ・マーラーの助手になるということだった。もっともマーラーにはもう助手がいた。ブルーノ・ヴァルターのことである。マーラーはヴァルターにいたく満足していたようで、自作を手稿から弾かせるだけでなく、他人には絶対に明かさないような自分の欲求や心配について打ち明けるほどの信頼を寄せ、どちらも妻アルマのかぎりない不興を買っていた。
E・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P34-35

その極端に遅いテンポから、細部まで見通せる巨大さ。
しかし、演奏の集中力は最後まで維持され、聴く者を飽きさせない、どころか、この玄人好みの作品(?)が手に取るように理解できるのだから、マーラーの音楽を知る上で避けて通れぬ名演奏。

同じく弟子であったブルーノ・ワルターとは相反する、浪漫を排したシリアスでそれこそ斜に構えたような解釈は、賛否両論あろうが、少なくともマーラー随一の難解な名作を理解する上で必須の録音アイテムであると僕は断言する。

・マーラー:交響曲第7番ホ短調
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1968.9.18-21&24-28録音)

この演奏に関しては、巷間批評が溢れているので、今さら僕が何か特別に書くことはない。
あまりの牛歩に、第1楽章冒頭から、誰もがたぶん驚きを隠せないだろうが、聴き進むにつれその必然性が無意識化で反芻され、また刷り込まれ、人生の最幸福期にあった作曲者の真意までもが見事にくみ取れるように思われる。
何せ全曲が終わるのに100分を要するのだから・・・。

可憐なマンドリンやギターを伴う第4楽章夜曲Ⅱアンダンテ・アモローソの、神秘感溢れる得も言われぬ美しさ。そして、終楽章の、それまでのすべての暗黒、闇夜を一掃する、巨人の歩みの如くの終楽章は、決して能天気なものではなく、堂々たる威容で聴く者を圧倒する。ティンパニの轟きも、金管群のファンファーレも何と壮絶かつ有機的であることか。最晩年のクレンペラーのマーラー音楽に対するそれこそ忠誠心が刻印される。

ところで、初のアメリカ旅行に向かう直前、マーラーはツェムリンスキーに手紙を書いている。

あなたにお別れを申し上げたいのですが―シェーンベルクと一緒にもう一度ご来向いただけませんでしょうか?残念ながら晩はすべてつまっておりますので、午後にならざるをえませんが。―4時だと一番都合がよろしい、私どもはこの時間ならいつも在宅いたしますから。―私の総譜(《第7交響曲》)をお持ちいただければ幸いです。私が戻りましたらまたお手許においてくださって結構です。
(1907年秋、ツェムリンスキー宛)
ヘルタ・ブラウコップフ編/須永恒雄訳「マーラー書簡集」(法政大学出版局)P336

ツェムリンスキーもシェーンベルクもこの交響曲に大いなる興味を抱いていたのだろう。

シェーンベルクがツェムリンスキーを介してマーラー家に出入りするようになったのは1902年からである。1904年のマーラーの《第3交響曲》を聴いて以来、最初、懐疑的なところのあったシェーンベルクの姿勢は一変し、強い崇拝の念を抱くところとなった。マーラーも、アルマにはシェーンベルクの音楽の理解のし難さを話していたが、強い関心も示していた。
~石田一志著「シェーンベルクの旅路」(春秋社)P17

マーラーの死は間違いなく早過ぎた。
不死身のクレンペラーのマーラーは立体的かつ音楽的で、とても魅力的だ。

 

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