シノーポリの「タンホイザー」を観て思ふ

歌劇「タンホイザー」の中でキーマンはヴォルフラムだと思った。もちろんエリーザベトの「純愛による救済」が最大のテーマであるにはあるのだが、しかし、彼女のそのカルマを機能させるにはヴォルフラムの、ある意味遠慮がちな、利他主義的な思考と行動が必要だった。自身のエゴを省みず、愛する人が幸せになるにはどうすることがベストなのか、ヴォルフラムの内側にはそのことしかなかった。然るに、ハインリヒ(タンホイザー)がこの期に及んでヴェーヌスブルクへの道を欲した時に見せた怒りというのは本物だった。これぞ愛あるがゆえの憤怒と悲哀。
「タンホイザー」というドラマはヴォルフラムの存在があってようやくその真意が掴めるというもの。

おお、私の優しい夕星よ
いつもお前を仰ぎ見るのが好きだった。
彼女を裏切ったことのないこの私の心からの
挨拶を彼女に送っておくれ
彼女がお前のそばを通り過ぎる時に!
彼女がこの谷間から昇天し
天国の天使となる時に!
(訳:井形ちづる)

「夕星の歌」
がこんなに心に響いた時はなかった。

君の天使は君のために神の玉座で祈っている
それは聞き届けられる!
ハインリヒ、君は救済された!
(訳:井形ちづる)

物語の中ですべてがわかっていたのはヴォルフラム。これこそ「調和」、そして「中庸(ゼロ)」。

ワーグナー:歌劇「タンホイザー」
リチャード・ヴァーサル(タンホイザー)
チェリル・ステューダー(エリーザベト)
ルートヒルト・エンゲルト=エリ(ヴェーヌス)
ハンス・ゾーティン(ヘルマン)
ヴォルフガング・ブレンデル(ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ)ほか
ジェール・バレエ
ジュゼッペ・シノーポリ指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団
ヴォルフガング・ワーグナー(演出・舞台装置)(1989収録)

「タンホイザー」のドラマそのものが聴く者を釘付けにするゆえ、多少の弛緩はまったくもって許される。とはいえ、シノーポリの指揮は極めて大味だ。悪く言えば、過去の巨匠の焼き直し的解釈のように思えるが、おそらく頭で考え過ぎなのである。ヴェーヌスブルクの官能的な音楽ですら理屈っぽい。ちなみに、ヴォルフガングの演出はとてもシンプル。

僕は絶対音感を持たないためよくわからなかったのだが、かつてスタンダード・オペラ鑑賞ブック4「ドイツ・オペラ下」の鶴間圭氏の小論を読んだことで、音楽的意味が一層深まった。すなわち、序曲のホ長調に対して「巡礼の合唱」の変ホ長調。ホ長調がバッカナール(官能)の調であるのに対し変ホ長調は「神的調性」すなわち「救済」を表すのである。調性上は半音しか違わずとても近しいものだが、五度圏的にはもっとも遠いものになるということを鶴間氏は指摘しておられた。そのことに腰が抜けるほど感動した。(笑)

色恋と精神性とは裏表であり、この矛盾と闘うことが人生なのだ。人間存在への問題提起。興味深い・・・。

 


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