シャーンドル・ヴェーグの「ジュピター」交響曲を聴いて思ふ

mozart_41_vegh何とメリハリの効いた「ジュピター」交響曲か・・・。
雙十国慶節の深夜にまさかモーツァルトを聴くとは想像もしなかった。
台湾の人たちはとにかく大らか。細かいことは気にしないという感じ。そんな印象だったものだから、偶然にも聴いたシャーンドル・ヴェーグのあまりに緻密で計算されたような演奏に少々驚いた。しかも、間髪入れずにアタッカで全楽章を一気に突き進む潔さと、決して有機性を失わない芸術的レベルの高さに感嘆した。

一昨日、クレンペラーの演奏を聴いて「モーツァルト最晩年の至高の傑作群も経済的困窮から生じたであろう精神的苦悩から生れ得たものだと言って良いということか」と書いた。ヴェーグの演奏を聴くと、困窮どころか一切の不幸なく、人生を明るく前向きに謳歌するモーツァルトの姿を思い描くほど。人間の精神というのはそもそも自由なんだ。身体と心を持つが故の苦しみ。人間の生というのは興味深い。

モーツァルト:
・交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
シャーンドル・ヴェーグ指揮ザルツブルク・カメラータ・アカデミア

モーツァルトは35歳で死ぬとは思ってもいなかったようだ。
ヴェーグのこの実況録音を聴いて、そして終演後の聴衆の熱狂的な拍手と歓声を聴いて、そんな確信が持てた。最後のシンフォニーが開かれたものであることが興味深い事実であり、人が悟ったとき、早々と天に召されるもので、しかもその際、想像を絶する類稀な作品が生み出されるものだということをつくづく思い知らされた。もはや聴き古したと言っても過言でない作品を耳にして、こんなに新鮮な感動を覚えるとは思ってもいなかった、そのことに正直驚く。

「プラハ」交響曲についても同様。メヌエット楽章を欠いたこの交響曲は、どうにも崇高な格調高い音楽で、なかなか名演奏というものに出逢えないのだが、ヴェーグのものは実に1,2を争うものだと直感。こちらもほとんどアタッカで、音楽が一気呵成に流れてゆくのが特長。

 

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