パウル・バドゥラ=スコダといえば、昔、ウェストミンスターからリリースされていたウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団員とのシューベルトの五重奏曲「鱒」の、ふくよかな響きの中に、ピアノが決して主張し過ぎず、弦楽器とひとつになって、不思議に温かさに満たされたあの演奏を思い出す。あれは本当に今でも懐かしい。だいぶ長い間耳にしていないけれど、そういえば彼は他の奏者と意志の疎通を図りながら音楽を作ってゆくアンサンブル、すなわち室内楽に適性のある方だと聞く。ともかく他人の奏でる音をよく聴いているのだろう、音調、波長をぴったり合わせるコントロール力が確かに見事だと僕なども思う。たとえそれがピアノをメインにする楽曲だろうと伴奏の楽曲だろうと。
午前4時半のシューベルト。
台北を発つ早朝にiPodに仕込んであった最後のソナタD960を独り静かに聴いた。少し前にリリースされたもので、何と3種のピアノを使用して録音されているところが、スコダのこの作品に対する思い入れの深さを物語る。楽器毎の音色の違いが実によくわかって面白いのだが、何よりピアニスト自身がそれぞれの楽器の性能を熟知し、解釈を微妙に変化させながら、しかもいずれの演奏においてもそれぞれ別の意味で「聴かせる」ところを設けているのが驚異。
例えば、1826年製フォルテピアノによるものは、いかにも色艶の褪せた軽い金属音に近い音はいまひとつ心に響かないように思ったのだが、それも一瞬の出来事で、思考回路をあえて200年前にタイムスリップさせて虚心に聴いてみることで思わずシューベルトの本懐が見える。やっぱり彼にはあの時点でまだまだ希望はあった。まさかその数ヶ月後に命がないものとは思っても見なかったのだ。そのことが明らかになる、そんなスコダのピアノフォルテによる味わい深い演奏。第1楽章の冒頭の主題が繰り返されるたびに心底にまで音楽が突き刺さるよう。
シューベルト:
・3つのピアノ小品D946(1826年製コンラート・グラーフ・フォルテピアノ)
・ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960(1826年製コンラート・グラーフ・フォルテピアノ)(2011.11.28-12.1録音)
・ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960(2004年製スタインウェイNo.569686)(2012.4.18-20録音)
・ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960(1923年製ベーゼンドルファー・インペリアル)(2011.3.27-28録音)
パウル・バドゥラ=スコダ(ピアノ)
このアルバムの醍醐味は、スタインウェイとベーゼンドルファーの弾き比べだろう。僕たち、すなわち聴き手の立場からすると聴き比べ。スタインウェイのいかにも重厚で煌びやかな音に対してベーゼンドルファーのくすんで落ち着いた響き。録音を通してもその違いは明らかで、スコダが何ゆえほとんど時をおかずに何度も録音したその意図が何だかわかるような気がして興味深い。
それにしてもあまりに淡々とした印象の演奏は、86歳になったスコダの枯淡の境地と言えるのだろうか?いや、僕が思うに、彼はまだまだいろいろな意味で現役で、枯れるどころか湧き出るエネルギーを持て余している。それこそがピアノを代え、繰り返しこの作品を演奏した大きな理由のひとつではないのか。彼自身は、この作品の録音をして自分の遺言状だと言っているそうだが、表面上の音だけを追うのではなく、内に秘められたパッションを感じとるに及び最晩年のシューベルト同様まだまだ生きる希望に満ちていらっしゃるように思うのである。遺言どころかかつて以上に若返り、音楽はまずます生命力に溢れる。
ところで、「3つの小品」D946が極めて美しく、いっぺんに僕を虜にした。これこそシューベルトのむき出しの魂の声。一般的に演奏されるモダン・ピアノで聴くこの作品は洗練され過ぎる傾向にあり、それらはどんなものでも大変に美しいのだけれど、どうにも他所行きのシューベルトのようにいつも僕には感じられた。
それはフォルテピアノの威力なのか、それともスコダの力量によるものなのか、それは今の僕には残念ながら判断できない(なぜなら、一度もスコダの実演を聴いたことがないから)。けれど、これは素敵な名演奏だ。これは早いうちに一度耳にせねばと自らに言い聞かせる・・・。
そんなことをつらつら感じ想った午前4時半。
フランツ・シューベルトが美しい。
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バドゥラ・スコダも何回か聴いています。リサイタルでは、アンコールには客席に来ていたィェルク・デムスを呼び、舞台で共演しましたね。思い出深いものでした。
>畑山千恵子様
スコダとデムスがアンコールで共演ですか!
その飛び入りは観客にとって願ってもないお宝体験ですね。
羨ましい限りです。