シトコヴェツキーのショスタコーヴィチを聴いて思ふ

shostakovich_concerto_sitkovetsky人というのは人にインスパイアされるもの。人との出逢いによって化学反応が起こり、新しい何かが生れるのである。あるいはそれは別れによってかもしれない。いずれにせよ人に出逢うチャンスは拡げた方が良い。さらには、頭で判断するのでなく何事にもチャレンジした方が良いということだ。

モーツァルトは、アントン・シュタードラーの演奏に触発されてクラリネット五重奏曲を書いた。1789年のこと。その前には大切な父親の死に遭遇し作風が一気に深化、そのことはいわゆる最晩年の諸作品に多大な影響を及ぼした。おそらくその中にはフリーメイスン入会によるそこで出逢った人々との交流の意味も大きい。

既に何度も繰り返し、そして様々な音盤で耳にしてきたのに今頃になって音楽の深み、すごさに気づくということが多々ある。例えば、ショスタコーヴィチの2つのヴァイオリン協奏曲。聴けば聴くほど味の深まる、何と素晴らしい音楽であることよ。ドミトリー・ショスタコーヴィチという天才にとっても他人との邂逅や別離が大いなる傑作を生み出す契機となった。この作品はまさにダヴィッド・オイストラフのヴァイオリンを聴いたことによる。

ショスタコーヴィチ:
・ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品77
・ヴァイオリン協奏曲第2番嬰ハ短調作品129
ドミトリー・シトコヴェツキー(ヴァイオリン)
アンドリュー・デイヴィス指揮BBC交響楽団(1989.12録音)

戦後すぐに生み出された巨大な第1番イ短調。しかも各楽章は各々独特の形を持つ。
そして、シトコヴェツキーのヴァイオリン!実に意味深い有機的な音を出すことにそもそも驚かされる。第3楽章パッサカリアの地鳴りのする何と雄渾な響き。まるで葬送の音楽だ。痛々しい戦争の傷痕残る時期の作品だからかどうなのか、とにかく直接的な悲哀の情感がこもる音楽。第2変奏における独奏ヴァイオリンの何とも静謐で、しかし確信に満ちた旋律は聴く者に勇気を与える。これは信仰の表現だろうか。第4楽章ブルレスケはショスタコーヴィチの独壇場。おどけた音楽がいかにも暗い雰囲気を吹っ飛ばす。ここでもシトコヴェツキーの独奏ヴァイオリンは縦横無尽に活躍する。
さらに、20年後の第2番嬰ハ短調。特に第2楽章アダージョの祈りの音楽に胸を締め付けられる。何とも暗いながら情感に満ちた音楽。僕が初めてこの音楽を聴いたのは、モーリス・ベジャールが二十世紀バレエ団を率いて披露した何かの演目だったか・・・(詳細は忘却の彼方)。アタッカで演奏される終楽章も思いに耽る作曲者の独壇場。

ここしばらくこの音盤に浸っているのだが、聴けば聴くほどはまる。明らかに20年前に聴いたあの感覚とは異なる。とにかく2つには「すべて」が含まれるのだ。ショスタコーヴィチの数多の作品群の中でも屈指の名作だと今の僕は思う。

人は人によってインスパイアされるけれど、音楽によっても間違いなくインスピレーションを得る。そういえば、音盤の記憶は自ずと過去の記憶と結びつくもので、頻繁にそれを聴いていた「その時」、「あの時」が走馬灯のように蘇るものだが、直感というものと大いに関係があるのかもしれぬ。

 


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