ベームの「マイスタージンガー」第1幕(1968Live)を聴いて思ふ

wagner_meistersinger_bohm_1968「コジマの日記」というのは実に面白い。事実は小説よりも奇なり、というが、古人の日記ほど興味深いものはない。ハンス・フォン・ビューローと別離し、リヒャルト・ワーグナーと相思相愛になった彼女の内側は実に複雑なものだった。自業自得とはいえ、日記に反映される悩みを見るにつけ人間の業の深さに驚くばかり。

1869年6月19日にコジマの下に届いたハンスからの手紙はとても心苦しく、しかも本音で語った悲痛な心の叫びだった。それまでの不幸な結婚生活の非をすべて自分のせいだと認め、次のように言う。

きみがぼくに惜しみなく注いでくれた献身に対して酷い報い方をしてきた。きみの精神、きみの心、そして何よりも、きみの姿、きみのまなざし、きみの言葉は、ぼくの生きる支えだったが、それを失った今になって初めて、ぼくはその価値に気がついた。そして最高の宝を失ったことで、人間としても、芸術家としても完全に打ちのめされた。

その上で、「きみが、きみの人生と、そのゆたかな精神と心を、はるかに高い存在に捧げる道を選んだことに全面的に同意する」と。
~「コジマの日記1」P222

人間というのは真に愚かだ。いわゆる交流のゲームに終始し、互いを傷つけ合う。上記のような言葉を投げかけられ、コジマは一層苦しむのだ。とはいえ、やはりこういう「負の体験」があるがゆえにコジマのリヒャルトに対する無償の愛は一層深まったともいえる。

これは「マイスタージンガー」初演のちょうど1年後の出来事だ。ワーグナーの喜劇作品だが、この作品がペーソスに溢れるのはちょうど作曲時期にハンスとコジマにまつわる経緯があったからなのだろうか・・・。

カール・ベームのバイロイト・ライブ。怒涛の第1幕を。

ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
テオ・アダム(ザックス、バス)
ヴァルデマール・クメント(ヴァルター、テノール)
ギネス・ジョーンズ(エーファ、ソプラノ)
トーマス・ヘムズリー(ベックメッサー、バリトン)
カール・リッダーブッシュ(ポーグナー、バス)
ギュンター・トレプトウ(ツォルン、テノール)
クルト・モル(夜警、バス)ほか
カール・ベーム指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1968.7.25Live)

第1幕前奏曲からほとんど暴れ馬。ライブの人、カール・ベームの真骨頂なり。クメント扮するヴァルターとジョーンズ扮するエーファの掛け合いからあまりに熱い。あっという間の1時間超が過ぎ行く。

それにしても日記上でコジマは嘆くが、リヒャルトはほとんど現実的金銭感覚に乏しかったのだと。家計が火の車であっても必要なものは、それも一番上等なものを買い求めたのだと。その上、コジマがそのことを憂えると必ず機嫌を損ねたらしい。
しかし、それゆえにこそ不滅の芸術が生れ得るのだ。天は二物を与えず。

ちなみに、この楽劇を作曲当時のワーグナーはコジマとの不倫のこと、作品の上演の難航など決して順風満帆とはいえなかったが、音楽自体の解放的な、そして前向きさは彼の他の作品を圧倒する。

 


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