フィッシャー=ディースカウのシューベルト歌曲集(1958)を聴いて思ふ

schubert_dieskau_moore_1958何て美しい歌なんだろう。冒頭の、「白鳥の歌」第4曲「セレナード」の、あまりに通俗化した旋律に思わず涙がこぼれるほど。1828年8月、すなわち死の3ヶ月前にレルシュタープの詩を中心にシューベルトは音楽を付した(それらは彼の死後「白鳥の歌」として出版される)。
それを若きフィッシャー=ディースカウが想いを込めて歌い切る。33歳とは思えぬ貫禄と、33歳らしい瑞々しさと、いわば矛盾する両面を持つこの歌唱は奇跡だ。そして、伴奏を受け持つムーアのピアノの何と意味深い響きであることか。モノーラル録音の、独特のだんごになって直接耳に届く録音のせいもあるかもしれないが、妙に生々しさと力強さを感じるのだ。

夜の闇を抜けて、私の歌はひそかに君に呼びかける。あそこの静かな森におりて、恋人よ私の許においで。ほっそりした梢は月光の中にざわめいている。こっそり立ちぎきする人など、愛するものよ恐れることはないよ。
作曲家別名曲解説ライブラリー17シューベルト

シューベルトの世界は透明で純粋だ、などとは言うまい。あくまでそれはイメージ。
実際彼の生涯をひもといてみると、その短い人生での苦悩、それも非常に現実的な悩みが多い。もちろん時代背景もある。当時のヨーロッパ社会には身分や財産の問題が壁となり、誰もが自由に結婚できる時代ではなかった。もちろん自由恋愛などとは程遠い。シューベルトがその風貌から異性にもてたかどうかは別にしても、一人前の男性が「女性を知る」のは一大事だったよう。それゆえ性欲を解消するのにいわゆる娼婦相手にということも当たり前だったそうだから、そこから致命的な病気をいただくというのも日常茶飯事。シューベルトもシューマンも死因は梅毒に依る。恐ろしい時代だ・・・。

1823,4年頃に作風が深化したシューベルトの孤高の世界の大本は「梅毒」という致命的な病からくる厭世観ということはどうやら間違いない。残された日記や手紙のあまりに悲痛な叫びの源は、仕方がないにせよ「身から出た錆」と言ってしまうのは酷なことなのか・・・。

音楽家など、いや芸術家などもともと聖なる存在ではないんだ。これほど俗なる人々はいないだろう。世間の荒波や負の体験を知らずして芸術の創造など不可能ゆえ。だからこそ音楽の世界は奥深く、面白い。

シューベルト:
・歌曲集「白鳥の歌」D957~第4曲「セレナード」
・アリンデD904作品81-1
・恋人の近くにD162作品5-2
・ノルマンの歌D846作品52-5
・歌曲集「白鳥の歌」D957~第6曲「遠い国で」
・歌曲集「白鳥の歌」D957~第5曲「わが宿」
・捕らわれし狩人の歌D843作品52-7
・老人の歌D778作品60-1
・魔王D328作品1
・夜曲D672作品36-2
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(1958.5.23-25録音)

ところが、フィッシャー=ディースカウの表現は実に崇高なんだ。リートの本来の在り方、というよりシューベルトの生き様を考えた時に、もっと下世話な表現が隅っこの方に感じられるとより一層リアルだったかも。夭折のアーティストは後世の人々にあまりにも美しい印象で語られるのは世の常。ないものねだりの贅沢な感想ではあるのだけれど、等身大のシューベルトを一方で僕は聴きたい。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

フィッシャー・ディスカウは素晴しい歌手でした。1987年、1989年、サントリーホールでのリサイタルシリーズ、1992年、最後の来日となったシューベルト歌曲集、「美しき水車小屋の娘」は忘れ難い思い出として残っています。

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