無理をせず

どうも体調が優れない。ゴールデンウィーク中休みなく突っ走ってきたから少々疲れが出ているのか、それとも目に見えない「放射能」やら諸々の影響があるのか、そのあたりは不明だが、特に本日は絶不調。とはいえ、昼間は大学の講義があったものだからそこは問題なく踏ん張った。明日は久しぶりに「何もない」ので、ゆっくり休養することに決めた。「無理」をしているつもりはないが、「つもりがない」のがまた「無理」であって、身体の発する声に素直に耳を傾けたほうがよかろう。

ぴかぴかの大学1年生も黄金週間が明けると随分余裕が出てくる模様。代表で9人に教室の前で抜き打ちでプレゼンテーション(発表)してもらったが、予想外にしっかりしている。1ヶ月前は「まったく無理です」などという声があちこちから聞こえてきそうな様子だったが、何事も慣れ。そして挑戦。有無を言わせずやらせるのだが結果的に力がつくのだから我ながら良い授業だ(笑)。

無理だと勝手に思い込んでいることにチャレンジすることは大事。一方で、容量オーバーの無理は禁物。

モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り
ルチアーナ・ティチネッリ=ファットリ、マリア=グラツィア・フェラッチーニ=マラカルネ(ソプラノ)
マガリ・シュヴァルツ(アルト)
エリク・タピー、ユーグ・キュエノー(テノール)
フィリップ・フッテンロッハー(バリトン)
エンリコ・フィッソーレ、フランソワ・ルー(バス)
ミシェル・コルボ指揮ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル

多分、20年以上前に仕入れた音盤。一時期この「晩課」にはまった。数年前の黄金週間に聴いた実演も素晴らしかったが、コルボによるフォーレのレクイエムは当時から愛聴盤で、何とも柔らかい夢見るような音作りはこの音盤においても健在で、この長大な宗教音楽にいつまでも浸っていたいと思わせてくれるような力(それも余分な力の入らない、無理のない、自然体の物)が漲っているところが僕の好みにぴったりだった。久しぶりに聴いてみると、当時の記憶もリンクして身体が元気になる。それにしても素晴らしい、良い音楽だ。

セルヴァンテスが「ドン・キホーテ」第2部を執筆し、シェイクスピアが「テンペスト」の構想を練っていた1610年。ビクトリアが世を去る1年前、そしてバードやダウランド、ギボンズらイギリスの作曲家たちが隆盛を誇っていたという時代。日本では、徳川幕府がキリスト教信仰を禁止する2年前であり、豊臣家滅亡(大阪夏の陣)の5年前。見ることも、感じることも不可能な過去を追体験する。音楽とはタイムマシンのようなものなり。


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