いつだったかワレリー・ゲルギエフのコンサートに出向いたとき、アンコールにプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」から有名な行進曲が採り上げられ、実に歯切れのよい爆演で、とても気に入ったことを思い出した。
プロコフィエフは、モダニズムの天才であったけれど、一方で、美しく、また耳に馴染みやすい旋律を生み出す天才でもあった。一聴、プロコフィエフの作品だとわかるロシア的憂愁と、社会主義リアリズム的田舎臭さとでも表現しようか、大衆の生活の密接につながった印象の音楽が時に心に迫り、また、時にそれが鼻につく。
ゲルギエフの指揮は、どんな作品にせよ基本的に賛否両論だけれど、僕は推す。
少なくとも血が通い、聴く者に有機的な刺激を与えてくれるという意味では随一だからだ。特に、指揮棒を持たず、両手の絶妙な動きで音楽のニュアンスを伝える技術と、何よりその鋭い眼光で音楽を創る力量には頭が下がる思い。
この寓話は、いかにも荒唐無稽な展開だが、鬱病の王子をいかに笑わせるかが一つの大きなテーマになっている点が肝だと僕は思う。冷えが万病のもとであり、冷えに正しく対応できるのが、自律神経の狂いを常に正常に調整することだといわれるが、何よりも腹の底から「笑うこと」こそ絶対の薬なのだということを忘れてはならない。
人生には様々な試練があるが、笑って対応できる大らかさが最大の武器。
ゲルギエフの音楽の楽天性は、結果的に音楽に箔をつけているように僕は思う。名演奏だ。