
音楽とは生き物だ。
昨日の演奏と今日の演奏がこれほどまでに違うとは、指揮者の、あるいは奏者のその日の体調が影響するのかどうなのか、もちろん聴衆のあり方も十分に影響するのだろう、細かいところで差異を見つけては音楽の美しさに、そして逞しさにため息が出るほどだ。

フルトヴェングラーはまさに即興の人だった。
本人が意識していないだろう、意識の隙間から発せられるオーラが音楽のあり方を決定するようだ。
ベルリンはティタニア・パラストでのベルリン・フィル定期。
1952年12月7日の演奏と8日の演奏がまるで異なる印象を与えるのは好事家の中では有名な話。
例えば、細かいところだが、第1楽章アレグロ・コン・ブリオ展開部、練習番号Iの部分(第280小節目から)の多少ブレーキをかけるような減速しての足踏みは、8日の方が一層力が入り、実に即興的で面白い。それによってその後の音楽のあり様が生き生きとするのだからこのあたりはフルトヴェングラーの独壇場といえる。
第2楽章葬送行進曲は、あくまでフルトヴェングラーの個人的な哀悼として扱われるようだ。それぞれのパートを明瞭に演奏し、聴く者はオーケストラの存在を漠然と感じるのではなく、すべての音符を聴き取ることができるのだ。そしてまた弦楽器は有名な旋律を無表情で、しかし素晴らしい緊張感をもって演奏する。そこには涙も嘆きもなく、ただ胸を締め付けるような内なる悲しみだけが伝わってくるのだ。トリオは当然のことながらffで頂点を迎え、有名なフガートへと到達する。第2ヴァイオリンはfではなくffで奏されることによってさらに緊張感を増し、楽譜通りの方法に戻れない長い旅へと乗り出す(クライマックスに達するまですべてのセクションに最大限の緊張を要求する)。
~FURT 1054/1057ライナーノーツ
・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1952.12.8Live)
また、第3楽章スケルツォのトリオにおけるホルンの三重奏は、技術的な乱れはあるもののそれが逆に生きものとしての音楽に花を添える(?)形になっていて、個人的には「事故」ではなく、興味深い「解釈」としてとらえている(3本のホルンのアンバランスさがまた乙だ)。
生きた作品は、思想や理論によって破壊されることがない。かといって、その生命が思想や理論によって守られるということもありえない。肝要なのは、火花が飛び移り、生きた音楽が生きた聴衆を見出すということである。そこでは、自己の過剰の知性による固定観念のなかに忌まわしく捕らえられた現代に見られる、あの即座に準備され、いつでもすぐ仕上がる知ったかぶりなどは、まったく無視されるのである。
(1952年)
~ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P65
音楽とはその場限りの幻想であり、また真実であるのだとフルトヴェングラーは言う。
そして、その思想を体現するものこそが1952年12月のベルリン・フィル定期の「英雄」なのだ。
