
珍しくもフルトヴェングラーの「オテロ」の実況録音が残されている。
決して最良の録音とはいえないが、稀代のドキュメントが、聴衆の熱気に包まれて披露されていることが如実に伝わってきて、聴き終えた後には得も言われぬ歓喜に満たされる。
1934年、アルトゥーロ・トスカニーニが初めてザルツブルク音楽祭にやって来た。ヒトラーのドイツ支配に抗議し、1933年夏のバイロイト音楽祭への参加をキャンセルしていたトスカニーニは、まだ自由だったオーストリアにこれ見よがしに自らの身を捧げた。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのコンサート、そして1933年10月のブダペストへの客演は、短いながらも輝かしい共演の時代を告げることになった。ザルツブルク音楽祭は1934年8月末にトスカニーニのコンサートを3回開催し、観客と国際メディアから熱狂的な歓迎を受けた。翌年の夏も、トスカニーニは再びザルツブルク音楽祭に参加することに同意したが、ヴェルディの「ファルスタッフ」をベートーヴェンの「フィデリオ」と並んで演奏するという条件が付けられた。トスカニーニの要請は、音楽祭の関係者から相当の抵抗を受けた。
初め、主催者はプログラムの伝統を理由にこの案を却下した。しかし、ウィーンの政治家たちの支持を受け、ザルツブルクにマエストロを招きたいという思いは一層強くなり、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮、イタリア人アンサンブルによる「ファルスタッフ」(マリアーノ・スタービレが主役を歌った)は、ザルツブルクのトスカニーニ時代のハイライトとなった。
そして、第二次世界大戦後、再び偉大な指揮者が活躍することになった。
唯一勝利を収めたのは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーだった。音楽祭でヴェルディのオペラを指揮するという目標を達成できたのは、フルトヴェングラーしかいなかった。ただし、誰もがヴェルディで真の実力を発揮すると期待していたトスカニーニとは対照的にフルトヴェングラーの願いは広く理解されなかった。音楽祭自体にそれほどの理解がなかったのだ。おそらく音楽祭は、作曲家没後50周年という節目に、国際的な聴衆に向けても、あるいは職業音楽家や好事家に向けてヴェルディの華々しい演奏を届ける好機だととらえていたのだろう。ウィーンの音楽評論家アレクサンダー・ヴィテシュニクによる演奏評(1951年8月9日付ウィーン・ターゲスツァイトゥング紙)には、次のように記されている。
当初、「オテロ」はあまり注目されませんでした。このあまりにありふれた音楽悲劇は、モーツァルトの祝祭都市にはまったく場違いではないかと疑問を呈する人もいれば、ヴェルディなら「ファルスタッフ」の方が相応しいと主張する人もいたのです。
考えてもみてください。私たちはフルトヴェングラーの卓越した第九を知っていますし、「フィデリオ」や「トリスタン」も知っています。しかし、フルトヴェングラーとヴェルディはどうでしょう? 最もドイツ的な指揮者であり、最もイタリア的な作曲家。また、指揮台では哲学者であり、形而上学者でもあり、舞台では官能的な劇作家であり、リアリストであるマエストロ。これは壮大な実験ではあっても、それ以上のものであり得るのでしょうか? 実際のところフルトヴェングラーの初のヴェルディ作品は、もはや実験ではなく壮大な完成品であり、その前の「魔笛」を押しのけて、1951年のザルツブルクにおける音楽劇場の文句なしの頂点でした。
フルトヴェングラーはここにやって来て、指揮し、そして聴衆を圧倒しました、すでに第1場からです。オーケストラの雷鳴と共に凝縮した悲劇が始まり、音楽的出来事の内なる緊張は、恐ろしく、激しく、残酷な運命がトランペットの最後の一撃で成就するまで、決して緩むことがありません。フルトヴェングラーはヴェルディを並外れた広がりとリズムで演奏し、それが時に歌手たちに並外れた挑戦を突きつけるにもかかわらず、目の前に現われたのです。
指揮者が活気と激しさによって犠牲にしたものも、力強さと壮大さ、柔軟性、色彩の面において幾度も取り戻しました。フルトヴェングラーのヴェルディ管弦楽団(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団への最高の讃辞!)は聴こえない音を表現し、言葉にできないことを語る雄弁さを持っています。生き生きと響き渡り、祈り、うめき、すすり泣き、そして怒り狂ったのです。すべてが官能的な美しさを決して失うことなく、精神的にもヴェルディを完全なヴェルディにしていました。
フルトヴェングラーが第2幕のイアーゴの場面をどのように解釈したかを私は決して忘れません。最初に口にした疑念から復讐の誓いまで、オーケストラの伴奏によってのみオテロの性格がどのように変化したのか、ヴェルディの輝かしい晩年の作品が音楽的特徴においてどのようなものを含んでいるのか、そして、イタリア人ヴェルディが、彼にとって異質であったリヒャルト・ワーグナーの音楽劇原理を探求したにもかかわらず、それがシェイクスピアの音楽的解釈にどれほど反映されているのか、フルトヴェングラーほど明確に説明できる者はいません。
現存するテープコピーの技術的品質に問題があるにもかかわらず、これほど多くのことが再現され純粋に聴きとれることは驚くべきことです。残念ながら、ザルツブルクの放送スタジオのオリジナル・テープは現存していません。
1952年夏に予定されていた再演も、残念ながらフルトヴェングラーの病気のためイタリア人指揮者マリオ・ロッシに代わりました。
(ゴットフリート・クラウス、1995年)
決して良いとは言えない録音状態にもかかわらず、幕が進むにつれて一切気にならず、フルトヴェングラーの「オテロ」に見事に引き込まれていく僕がいる。劇中の悲喜交々あらゆる感情の発露と老練のヴェルディの筆の確かさ、そして指揮者の本懐たるワーグナーとの同質性を見出す心眼の確かさに感動だ。
ザルツブルクは旧祝祭劇場からの実況録音。
第1幕冒頭、オーケストラの怒号に度肝を抜かれる(もっと録音が良かったら!)。
クラウスが指摘する第2幕の「イアーゴのクレド」(歌唱はパウル・シェフラー)は壮絶で、何といっても重くのしかかるオーケストラの音がすべてを物語る。
俺は信じる 俺を造り給うた無慈悲な神を
ご自分の姿に似せて、俺は怒りに満ちてその名を呼ぶ
いやしき胚より あるいは下劣な原子から俺は生まれたのだ
俺は悪漢なのだ
なぜなら人間だからだ
それに俺は元の泥が体の中にあるのを感じる
そうだ!これが俺の信条なのだ!
俺は堅い心で信じているぞ その信仰は
未亡人が教会で信じているほど堅固だ
俺が考え付く悪事は 実行する悪事は
俺の運命を成就するためのもの
俺は信じる、正直者など嘲笑すべきピエロだと
その顔もその心も
そいつのすべてがただのペテンだ
涙も くちづけも まなざしも
犠牲も名誉もだ
そして信じる 人間はみな邪悪な運命の玩具だと
揺りかごの萌芽から
墓場の蛆虫に至るまで
激しい嘲笑のあとには死神がやってくる
そして、何が?そして、何が?死は無だ
天国など古臭い昔の物語さ
~オペラ対訳プロジェクト
そしてまた第4幕のデズデモーナ(ドラジカ・マルティニス)による「アヴェ・マリア」の静謐な美しさ。
あるいは、自刃によって死に直面するオテロ(ラモン・ヴィナイ)の最後のうめきに感じられる無念(人間とは何と浅はかであることか)。
