真作か偽作か、モーツァルトの協奏交響曲K.297Bを聴いて思ふ

mozart_k297_holliger_marrinerザルツブルクに見切りをつけたヴォルフガングの英断。いや、というより天才にとってそれは必然だった。そして、その頃の彼の手紙は必見。ウィットに富み、先見があり、やはり只物でないことが随所に示される。高橋英郎著「モーツァルトの手紙」より抜粋。

おそらく次の手紙で、お父さんにとっては非常にいいことだけれども、ぼくにとってはただいいことにすぎないことをお知らせするか、あるいは、お父さんの目には非常に悪いことだけれども、ぼくの目にはまあまあのことをお知らせするか、でもひょっとするとお父さんにとってはまあまあのことだけれども、ぼくにとっては非常にいい、喜ぶべき、価値あることを書けるかもしれません!これはだいぶ神託めいてきましたね。
~1777年11月22日付、マンハイムよりレオポルト宛
P219

そう、世に絶対はなく、すべては相対に過ぎないことを21歳のモーツァルトは見抜き、父を諭すように訴えかけている点が恐れ入る。同じ手紙の中には次の記述も。もはやこの世が幻想であることを知っていたモーツァルトの奇蹟・・・。

あなたはぼくを、あなたの息子を、わかっていないのを心から残念に思うよりほかありません。・・・ぼくら4人は、この通り、幸福でもなければ不幸でもありませんでした。それをぼくは神に感謝しています。幸福というものは―ただ想像の中にだけあるのですから。
~1777年11月22日付、マンハイムよりレオポルト宛
P221-222

さらに既成概念に囚われ、頑固に息子に説教する父に息子は次のように応える。

なにしろあなたは愚にもつかない敵と、阿呆で無能な友人どもを持つことに慣れた町に住んでいて、連中ときたらザルツブルクの哀れなパンなしでは生きてゆけず、たえずゴマをすり、したがって同じことの繰り返しにすぎませんからね。いいですか、ぼくがあなたにいつだって子供じみたことや冗談を書き、真面目なことはほんのちょっとしか書かなかったのも、まさにその理由のためです。
~1777年12月10日付マンハイムよりレオポルト宛

もはや並の父親には手に負えない。一枚も二枚も上手ゆえ。「すべてがわかる」ヴォルフガングが奇蹟的な音楽を生み出したのも納得できるというもの。ようやく自立の扉を開こうとするモーツァルトのマンハイム・パリ旅行中の傑作(偽作か真作かいまだに確定されていない作品だが、僕はヴォルフガングの真筆だと信じたい)を聴く。

モーツァルト:
・フルート、オーボエ、ホルン、バスーンのための協奏交響曲変ホ長調K.297B(app.9)(ロバート・レヴィン再構成版)(1983.7.9-10録音)
・オーボエ協奏曲ハ長調K.314(1983.7.9-10録音)
・オーボエ協奏曲ヘ長調(K.313)(1986.6.5-6録音)
オーレル・ニコレ(フルート)
ハインツ・ホリガー(オーボエ)
ヘルマン・バウマン(ホルン)
クラウス・トゥーネマン(バスーン)
ケネス・シリトー(オーボエ)
サー・ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

名手たちの協演。どんなストレス下にあっても、どんな苦難に遭っても、モーツァルトの生み出す音楽は愉悦に満ちる。もちろん哀感は下敷きになっているのだけれど。彼の当時の手紙類を目の当たりにし僕は思った。すべてを包括し、この世がそもそも喜劇であり、何も心配することなく、とにかく「いまここ」を生きることがベストだと彼は知っていたと。

ますます神々しい。

 


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