ベーム&ベルリン・フィルのモーツァルト「パリ交響曲」を聴いて思ふ

mozart_31_34_bohm_bpoザルツブルク時代終盤のモーツァルトを集中的に聴く。モーツァルトの内面的革新が始まり、父親すらも超えてゆく(もともと超えていたという噂もあるが)あの時代の天才の軌跡を手紙類で辿ることはとても興味深い。そもそも250年前のものが残されていて、現代の僕たちが容易に目にすることが可能だという奇蹟。スカトロジックでおふざけ満載の手紙の中に至極真面目で的を射た、異様に大人びた、物事を完璧に捉えているものも混じることが驚異。
彼が35歳で天に召されなければならなかったことがよくわかる。

さて、いよいよシンフォニーが始まりました。ちょうど第1楽章アレグロの真ん中に、たぶん受けるにちがいないとわかっていたパッサージュがありました。そこで聴衆はみんな夢中になって―たいへんな拍手喝采でした。アンダンテも受けましたが、とくに最後のアレグロがそうでした。弱奏のあとすぐに強奏がきますが、ぼくの期待した通り、聴衆は弱奏のところで「シーッ!」―続いてすぐに強奏―それを聴くのと拍手が鳴るのと同時でした。
~1778年7月3日付、パリよりレオポルト宛(「モーツァルトの手紙」P245)

ちょうどこの日、母アンナ・マリアが亡くなっているのである。つまり、母の遺体の前で書かれた手紙だということだ。もちろん手紙で言及されるシンフォニー、すなわち「パリ」交響曲K.297には悲愴な趣きはない。とはいえ、内側に募る哀しみと、自らの勝手が母の死期を早めたのではないかという思いが言外に読み取れるのは確か。

なんと、父レオポルトからの返信の内容がまた手厳しい。

おまえのお母さんは、おまえと一緒にザルツブルクから発たねばならず、また、おまえが新しい知り合いを作ったことで、お母さんは、ザルツブルクへ帰れなかったのです。
~1778年8月27日付、ザルツブルクよりレオポルトからモーツァルト宛(「モーツァルトの手紙」P249)

この新しい知り合いというのは恋人のこと。ヴォルフガングは果たして自責の念に駆られたろうか・・・。いや、そんなことはなかろう。彼にとって新しい恋は生きる糧だったから。

カール・ベームの交響曲集を聴く。実演の人ベームにしては当然大人しい。そのことが少々気にならなくもないが、オーソドックスな名演奏を聴かせてくれるという意味では最右翼。

モーツァルト:
・交響曲第31番ニ長調K.297(300a)「パリ」(1966.2録音)
・交響曲第32番ト長調K.318(1959.10録音)
・交響曲第33番変ロ長調K.319(1968.2録音)
・交響曲第34番ハ長調K.338(1966.2録音)
カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

燦然と輝くウィーン時代の交響曲とは趣を異にするが、天才モーツァルトの匂いが随所に漂う。鬱屈したかの時代をようやく抜け出せるだろうかという思いと、来るべき未来への進取の精神が垣間見える。
「パリ」交響曲は素晴らしい。モーツァルトが「遊び」の意味を込めて書いた、「受ける」とわかっていたこの音楽にも「閃き」は溢れる。ベームの真骨頂。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

ベームのモーツァルト交響曲全集はぜひ、残ってほしい演奏ですね。なかなか買えずに困っています。ただ、スウィトナーのものは、輸入盤ボックスで買うことができました。

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