フラグスタートの「アルチェステ」を聴いて思ふ

gluck_alceste_flagstadここのところリヒャルト・シュトラウスの楽劇「影のない女」に首ったけ。しかし、この重厚で深遠なオペラについて僕は何かを書くことがまだできない。少なくとも、ホーフマンスタールの、幾重にも伏線が張られた壮大な絵巻、あらゆるものが「二元」の内に存在するものの、最終的に融け合うことを目指すであろう物語をきちんと読み解き、正しく理解するまでは。その上に、これまたいくつもの大事なモティーフが随所に顔を出し、絡み合うシュトラウスの感情的かつ高貴な音楽を自分のものにするというのだから、これはある意味生涯仕事だ。なるほど、実に有意義で、実に興味深い作業。生きる楽しみがまたひとつ増えるということ。

いずれにせよ、あの伝説の市川猿之助演出、サヴァリッシュ&バイエルン国立歌劇場の舞台とまではいかずとも相応の演出を伴った舞台に触れないことには・・・。

「影のない女」においては、ホーフマンスタールとシュトラウスの間で喧々諤々のやりとりがあったこともこの作品をより一層深いものにしたと考えられる。特に、オペラの醍醐味は台本作家と作曲家との間に起こる「ぶつかり」と「調和」が鍵となる。シュトラウスは台本の内容にうるさかった。そのことはモーツァルトにも通じる。

ぼくは軽く100冊、いやそれ以上の台本に目を通しましたが、ひとつとして満足できるものはありません。おそらく初めから書き改めた方が楽でしょう。
1783年5月7日付、ウィーンよりレオポルト宛(「モーツァルトの手紙」P339)

ちょうどこの頃のモーツァルトは絶頂の入口にあった。3月11日のブルク劇場でのコンサートには老大家グルックも訪れていたようで、翌日の手紙にモーツァルトは次のように書いている。

グルックは、ぼくの交響曲とアリアをほめちぎり、次の日曜日にはわれわれ4人を食事に招いてくれました。
1783年3月12日付、ウィーンよりレオポルト宛P329

少年の頃のモーツァルトが、ウィーンでオペラ「ラ・フィンタ・センプリーチェ」K.51を上演しようとした際、妨害工作の中心人物となったグルック(当時54歳、モーツァルト12歳)が15年を経てこの時は大絶賛なのである。68年当時彼は「アルチェステ」で人生のクライマックスを迎えていた頃だろうゆえ、もう少し余裕があっても良いものだが、人間の欲や不安というのは面白いものである。しかし、死の4年前ともなると、そして社会的な地位が確固としたものになると、人はそれほどに他人を承認することができるようになるということだ。どんな天才であってもそこは人間。エゴが渦巻き、そのことがまた芸術を一層昇華させる起爆剤となる。

フラグスタートの「アルチェステ」を聴く。歌手でなく作品重視という思想の下に作られたこの歌劇なくしてワーグナーなく、ということはシュトラウスにもつながらないという、ドイツ・オペラ(イタリア語上演だけれど)の原点のような作品。

グルック:歌劇「アルチェステ」(1767年イタリア語原典版)
キルステン・フラグスタート(アルチェステ、ソプラノ)
ラウル・ジョバン(アドメート、テノール)
アレグザンダー・ヤング(エヴァンドロ、テノール)
マリオン・ロエヴェ(イズメーネ、ソプラノ)
トマス・ヘムズリー(大祭司/アポロ/死の神、バリトン)
ジョアン・クラーク(エウムーロ、ソプラノ)
ローズマリー・セイヤー(アスパージア、ソプラノ)
ジェイムズ・アトキンス(預言者/神託の声、バリトン)
ジェレイント・ジョーンズ指揮ジェレイント・ジョーンズ・シンガーズ&管弦楽団(1956.4&5録音)

ジョン・カルショウによる見事な録音。音に厚みがあり、60年近く前のものとは思えない生々しさ。そして何よりフラグスタートの堂々たる歌唱の神々しさ。アルチェステの勇気と慈悲をそのまま体現する彼女の歌は、例えば第2幕第1場最後のアリオーソ「驚かれませぬよう」の響きに刻印される。第3幕におけるレチタティーヴォやアリアも実存の響き。ここはフラグスタートを筆頭に登場人物の歌がひとつに収斂されゆく場面で、感動的。

 


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