キーンと張り詰めた冷たい空気に春を感じる。路肩に残る大量の雪の残骸にも。
冬の夜は素敵だ。月明かりだけを頼りにひとりぽつねんと道行けば、微かな風の音と人の足音が・・・。
レジナルド・ジャックスの「マタイ受難曲」(抜粋)を聴いて泣きそうになった。エルガーとアトキンスによる編曲版であり、トラウトベックとジョンソンによる英語翻訳版でもあるこの「マタイ」にはコントラルトでカスリーン・フェリアーが参加しているのである。冒頭の合唱やアリア「憐れみたまえ、わが神よ」はもちろんだが、何より思い入れたっぷりの終曲合唱が実に素晴らしい。
意外に英語歌唱に違和感がない。ということは、やはり言葉より音楽の方が優位であるということか?かつてはどこの国でも原語上演ではなく、その国の言語に翻訳して演奏されることが主流だった。それはやっぱり内容を字幕からでなく、舞台を感じるままに理解したいという人間の根底欲求に因るところが大きいのかも。
その昔、モーツァルトもドイツ語のオペラを作曲することにこだわった。当時は、オペラと言えばイタリアが本流で、どの作曲家も当たり前のようにイタリア語でオペラを創造していた時代。さすがにモーツァルトもそれには抗えず、「フィガロ」や「ドン・ジョヴァンニ」など数多のイタリア語による名作オペラを残した。でも、彼の中ではドイツ語にこだわりたい、そういう思いが強かった(最終的にジングシュピール「魔笛」でそのことは叶えられるのだけれど)。
そしてわれわれドイツ人が、ドイツ風に考え、ドイツ風に演じ、ドイツ語で語り、―ドイツ語で歌うことを、今頃やっと真剣に始めたのだとすれば、それはドイツにとって永遠の汚点となるでしょう!!!
1785年3月21日付、モーツァルトからアントン・クライン宛(「モーツァルトの手紙」P352)
人間にとって言葉の壁は大きい。そのことが結果的に境界を作り、人と人との大きな壁にもつながっているといえるのでは・・・。
音楽というのは普遍的なものだ。言葉を超えて伝わるものがある。言葉のない器楽曲ならなおさら。それもジャンルを超えて。
Keith Jarrett:The Melody At Night, With You
Personnel
Keith Jarrett (piano)
慢性疲労症候群に倒れたキース・ジャレットが数年の闘病を経て復活、自宅で録音したとてもパーソナルで美しいソロ作品。
バッハからモーツァルト、天才の永遠の魂がキースに乗り移るかのように、静かに瞑想するピアノの音色。儚くも哀しいシーンあり、そして生きることへの喜びに満ちたシーンもある。まるでベートーヴェンの作品132の第3楽章「病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」のように、ここでのキースは感謝の念で充溢する。
“Blame It On My Youth”の何という美しさ!!”Meditation”は安らぎだ。”Be My Love”に満ちる慈しみの音。
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