アイノラ交響楽団第11回定期演奏会

ainola20140413滅多に聴けない作品に出逢える喜び。ジャン・シベリウスの初期から後期の入口にかけて作曲された交響的作品を並べた前半を体験して、彼の作曲家としての進化深化を目の当たりにした。それは、シベリウスを愛する奏者の集合体である「アイノラ交響楽団」が、これまで10回の演奏会で彼の交響曲のすべてを一通り終えた経験を許に、再度また最初の交響曲に還ってきた記念すべき第11回目の定期だったことも大きいだろう。指揮者の新田ユリさんはじめ相当に思い入れが強かったはず。

なるほど、創作活動というものは環境の影響を間違いなく受けるということだ。抑圧されている時は、できるだけ解放しようとその作品は明朗快活になる。一方、世情が安定する、あるいは平和な時ほど無意識の余裕からか本来の個性なるものが前面に表出する。シベリウスの場合、国家がようやく独立を遂げた後、さらに自身の闘病以降、作品の様相が随分変化した。そう、それによって彼の人としての本質が確実に作品に反映されるようになったのだ。暗澹たる雰囲気の、晦渋で人を寄せ付けない重み。それでいてひとたびその妙薬にはまると決して抜け出すことができないほどの中毒性とでも表現しようか。

アイノラ交響楽団第11回定期演奏会
2014年4月13日(日)14:00開演
杉並公会堂大ホール
新田ユリ指揮アイノラ交響楽団
シベリウス:
・組曲「歴史的情景」第1番作品25
・組曲「歴史的情景」第2番作品66
・音詩「大洋の女神」作品73
休憩
・交響曲第1番ホ短調作品39
アンコール~
・交響詩「フィンランディア」作品26
・アンダンテ・フェスティーヴォ

1899年に作曲された最初の「歴史的情景」はどちらかというと表層的(あくまで僕の感覚)。そして、その10年後に書かれたもうひとつの「歴史的情景」も、シベリウスらしい音楽が散見されるものの、残念ながら心に響く音楽ではなかった。作曲者の心情というより、むしろ国家を意識して書いたのではないのか、よって真の彼らしい、懐の深さに乏しいように僕には感じられたのである。一方、アメリカでの演奏会のために書き上げられた1914年の「大洋の女神」は、さすがにシベリウス円熟期の音楽であり、ハープ2台、ティンパニ2台を要する大掛かりなものだけあって、聴き応え十分だった。シベリウス独特の「北欧の澄んだ自然と暗鬱たる空気」を髣髴とさせるシーンに溢れ、その上、海の風景が見事に音化され、とても素晴らしかった。何より「女神」のモティーフであるフルート独奏。素敵だった。

15分の休憩を挟み、交響曲第1番。この作品は本当に良くできている。国民楽派の諸先輩の影響下にいまだあるものの、最初の音からシベリウスそのもので、しかも4つの楽章のバランスが巧みにとられており、内容的には北欧の厳しい自然と闘いながらも共生する人々の姿が上手に描写される。白眉はフィナーレ。とにかく音楽的に実に意味深く、それをまたオーケストラが実に有機的に奏し、そして楽員ひとりひとりが前傾姿勢で対峙する姿に聴き(見)惚れた。
アイノラ交響楽団の定期はこれで3年目になるが、来年以降も実に楽しみだ(2015年は「クレルヴォ」を中心にしたプログラムで構成されているよう)。

演奏は概ね金管群が不安定だったものの、クラリネットやフルートという木管群は健闘、弦楽器群はさすがといわせるシーンが頻出した。打楽器の轟音も素晴らしかった。

アンコールはお決まりの2曲。「フィンランディア」で大いに盛り上がり、「アンダンテ・フェスティーヴォ」でクール・ダウン。
2時間強という最高の時間と空間を堪能させていただいた。感謝。

 

第10回定期演奏会(2013年3月17日(日))
第9回定期演奏会(2012年4月22日(日))

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

これはよい収穫でしたね。シベリウスのオーケストラ作品を演奏史て行こうとする企画がプロのオーケストラでも実現するといいですね。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
プロはある意味聴衆に迎合しますからね。珍曲を披露するのはなかなか難しいのでしょうね。ぜひともやってほしいとは思いますが。

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