ハーゲン・クァルテット シューベルト&ショスタコーヴィチ ツィクルスⅢ

もしフランツ・シューベルトがあと20年、いや、あと10年でも生き永らえていたとしたら、彼の作品はどういう様相を呈し、その芸術はどこまで行ったのだろう?
想像するのも恐ろしい。
今夜聴いたハーゲン・クァルテットの演奏は実に素晴らしかった。
衝撃的なトゥッティ。想像を絶する静寂の音。この熱演をもっとたくさんの方に聴いていただきたかった。とはいえ、演奏もさることながら、重要なのはシューベルトの作曲した音楽そのものの威力。29歳のシューベルトの神懸かり的創造力に畏怖の念を覚えた。
永遠の時間の中にある無色透明な、極めて清澄な世界。シューベルト特有の長尺な音楽に心から浸りながら、今夜ばかりは終わってほしくないと願う僕がいた。

1997年8月3日(日)19時30分開演
モーツァルテウム
・ベートーヴェン:弦楽四重奏のための大フーガ変ロ長調作品133
・シェーンベルク:弦楽四重奏曲第2番嬰へ短調作品10
休憩
・シューベルト:弦楽四重奏曲第15番ト長調D887
オードリー・ルナ(ソプラノ)
ハーゲン・クァルテット

1997年夏のザルツブルク、モーツァルテウムでのハーゲン・クァルテットのコンサートは、確か当初の発表から順番が入れ替えられ、ベートーヴェンの「大フーガ」から始まったのではなかったか?
あの強烈な、古典派とは思えぬとても複雑な音楽に僕の脳みそはきりきり舞いし、続くシェーンベルクのソプラノ付の革新的作品の方がより保守的だとさえ思えたほど、当時から彼らの演奏は凝縮された厳しさと類い稀な構成美を湛えていた。しかしながら、おそらく奏されたであろうアンコールを含め、後半の記憶が僕にはまったくない。はてさて、20年前の彼らはどんなシューベルトを繰り広げのだったっけ?

今宵のシューベルトは筆舌に尽くし難い美しさを醸した。
それはアンコールがなかったことからも窺える。あれほどの崇高で強力な演奏の後に音楽は不要。死の数年前の天才の想像を絶するインスピレーションに舌を巻く。

ハーゲン・プロジェクト2017
シューベルト&ショスタコーヴィチ ツィクルスⅢ
2017年7月5日(水)19時開演
トッパンホール
・ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第15番変ホ短調作品144
休憩
・シューベルト:弦楽四重奏曲第15番ト長調D887
ハーゲン・クァルテット
ルーカス・ハーゲン(第1ヴァイオリン)
ライナー・シュミット(第2ヴァイオリン)
ヴェロニカ・ハーゲン(ヴィオラ)
クレメンス・ハーゲン(チェロ)

前半のショスタコーヴィチも凄かったのだけれど、何だか霞んでしまった。
こちらも死を目前にした作曲家の辞世の句のような暗澹たる音調の作品だけれど、第1楽章エレジーからとても呼吸の深い、そして重厚な音楽が奏でられた。続く第2楽章セレナードの、断末魔の如くのスフォルツァンドに卒倒、第3楽章間奏曲と第4楽章ノクターンの夢見る情熱を経て、第5楽章葬送行進曲の、ベートーヴェンの「月光ソナタ」をモチーフにした主題の奥深い響きにハーゲン・クァルテットの真髄を垣間見た。ヴェロニカによるヴィオラのモノローグ、またルーカスによるヴァイオリンの甲高い叫びに圧倒された。
白眉は終楽章エピローグ。4挺の楽器各々の独奏による回想、また息の合った合奏の素晴らしさ。
あのエネルギーとパッションはどこから生まれるのか?とても充実の2時間であった。

 

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4 COMMENTS

雅之

音楽は時間泥棒だと不謹慎なことを考える私でも、これから先、より長く付き合っていけるのは、シューマン、ブラームスよりも、シューベルトやモーツァルトのほうだという予感がますます強くなっています。ショスタコとの交際は、またちょっと別枠ですが(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

まったく同感です。
ショスタコーヴィチはそう簡単には心を開いてくれないですからね。
友達になるのに時間がかかります。(笑)

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