ジャン=ベルナール・ポミエの「ハンマークラヴィーア」ソナタ(1995-97録音)ほかを聴いて思ふ

そもそも国境など存在しないのである。
フランス的とかドイツ的とか、人間が勝手に決めた常識に過ぎない。
今や一日の出来事を記録することに意味があるのである。

魂に触れた。
自分自身の在り方を模索し、決意すべし。

ベートーヴェンが悟りを得たのはまさに「自分の在り方」を発見したときだったのだろうと思う。それはおそらく1812年のこと(ナポレオン・ボナパルトがロシア帝国に戦いを挑んだ時であり、それは歴史の分岐点だった)。以降、楽聖は人間世界とかけ離れた「神」の世界と同居するようになった。

音楽は飛翔する。
音楽は意味をなさない。
崇高な調べ。
特に、第3楽章アダージョ・ソステヌートの精神性と類稀なる癒しの念。
「ハンマークラヴィーア」ソナタは、交響曲第9番の焼き直しであることに今更ながら気づいた。否、それは、かのソナタが原型なのである。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101
・ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」
ジャン=ベルナール・ポミエ(ピアノ)(1995.12, 1996.12 &1997.12録音)

ポミエのオーソドックスな表現に安心感を覚える。
終楽章ラルゴ―アレグロ・リゾルートの透明感。第9交響曲は本来こうであらねばならなかった。安易に合唱に頼ったところがベートーヴェンの誤算。

静寂と自由とは最大の財宝。(1817年)
ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)P173

この言葉に象徴される音楽性。ポミエは素直に従う。
また、イ長調作品101の、あまりに女性的、可憐な響き。第1楽章アレグレット・マ・ノン・トロッポは艶やかだ。そして、第2楽章ヴィヴァーチェ・アラ・マルチャにおける生への喜び。

「あらゆる変転へ沈着に応じよう。そして、おお神よ、ただあなたのかわることなき慈愛にのみ私の信頼を置こう。」(1817年)(クリスチャン・シュツルムの著書からの書き抜き)
~同上書P174

さらに、第3楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ,コン・アラ・アフェットの憧憬。これほどまでに希望に満ちる音楽はない。

 

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2 COMMENTS

雅之

経験上、クラシック音楽の真実。

①「第九」の合唱を歌いたがる人は、第3楽章までにあまり興味がない人がじつに多い。

② ピアノが大好きな人は、管弦楽にあまり興味がない人がじつに多い。

音楽にも国境があるんだよなあ、これが(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

なるほど!
確かにそうですね。
真実というより七不思議。

>音楽にも国境があるんだよなあ

国境を越える勇気がないのでしょうかね?
クラシックという境すら越えてもっといろいろなジャンルに興味を持てば良いのにと思う一方で、
そういえば僕のとりあげるものも実に偏っていますから、
やっぱり国境があるということでしょうか?(笑)

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