グールドのベートーヴェン ピアノ・ソナタ作品10(1964録音)を聴いて思ふ

珍しく色艶豊かなグレン・グールド。
旋律には思いがこもり、音楽は常に歌う。
相変わらずの鼻歌と、椅子のぎしぎし軋む音がはっきりと収録されていて、何だか彼が目の前に復活して、僕たちに音楽をすることの素晴らしさを教えてくれているよう。
例えば、ハ短調ソナタ作品10-1第2楽章アダージョ・モルトの虚ろな寂しさは、青年ベートーヴェンがウィーンで体験した孤独の表象、あるいは、恋するベートーヴェンの素朴な想い。人の温かさとほっとする安堵の喜びに僕の心が静かに反応する。また、終楽章プレスティッシモの弾力は、やはり未来を約束された青年作曲家の本懐。見事である。
そして、ヘ長調ソナタ作品10-2第1楽章アレグロにおける、饒舌な左手というか、指が何本もあるのではないかと思わせるほどの超絶テクニックに感応。第2楽章アレグレットでは、ベートーヴェンの内側にある女性性というか、優しさの追究が刻印される。終楽章プレストは人間業と思えぬスピードのテンション、何ていう素晴らしさ!

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第5番ハ短調作品10-1(1964.9.15録音)
・ピアノ・ソナタ第6番ヘ長調作品10-2(1964.6.29録音)
・ピアノ・ソナタ第7番ニ長調作品10-3(1964.11.30録音)
グレン・グールド(ピアノ)(1964録音)

さらには、ニ長調ソナタ作品10-3第2楽章ラルゴの悲痛な表情は、後期のベートーヴェンの作風に通ずる深みを醸す。おそらくそれはグールドの力量によるもの。続く第3楽章メヌエットの明朗さは、聴く者を種々の束縛から解放する。そして、終楽章ロンドにある憂愁。
悲しみも喜びも、怒りも優しさも、あらゆる感情を包括するグールドのピアノには若き怒れるベートーヴェンの音楽が相応しい。

ところで、武満徹の大竹伸朗論にある言葉は、そのままグレン・グールドにも当てはまるだろう。

なんと生命感に横溢した表現だろう。だが、この表現という語が予め私たちに与える因習の枠からも、大竹は既に軽々と抜け出しているのだ。異次元とは言わない、地表からほんの僅かな高さの中空に、大竹伸朗は垂直に倒立して、地上の塵埃を眺めている。表面の猥雑さが、このように汚れのない諧調にまで高められる逆説の前に、私は、言葉もない。
「宇宙の欲望―大竹伸朗」
「武満徹著作集3」(新潮社)P151

そう、まさに「異次元とは言わない、地表からほんの僅かな高さの中空に、グレン・グールドは垂直に倒立して、地上の塵埃を眺めている」のだ。エキセントリックを超えた、赤裸々なベートーヴェンに感涙。

 

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