
決してお金持ちではなかったエリック・サティは、お高いところへの挑発としてシャンソンを書いたのかどうか。すべてにひねくれていた(?)サティは、作品にも風変わりな標題をつけた。彼は高尚な芸術はやらないと決心していたのかどうなのか。
彼は型破りではあったけれど、あくまでシステムの中で戯れるということを忘れなかった。そして、彼はいつも瞬間を大切にしたのだ。
エッセイ「目まいについて」は、友人に眩暈のことをわかってもらおうと一生懸命伝えてもわかってもらえないことが面白く書かれている。木の枝にとまった一羽のツグミが今にも落ちそうになっている姿を目の当たりにし、ここぞとばかりにその友人に説明したものの・・・。
そこで私は友人の方に向きなおって、こう言った—「ほら、あの鳥を見ると、鳥肌が立って、目まいがしてくるよ。急いで木の下にマットレスをもっていこう。もしあの鳥がバランスをくずしたら、きっと腰を痛めてしまうからね」。
私の友人がなんと答えたと思います?
冷たく、あっさりと—「君って悲観論者だね」と。
人を納得させるのは、まったく容易なことではない。
~エリック・サティ/秋山邦晴・岩佐鉄男編訳「卵のように軽やかに」(ちくま学芸文庫)P125-126
嘘か真か、こういうエピソードからはサティの真面さがうかがえる。
サティの世界とは、実は自他の境がなくなり、すべてが共存の中にある状態なのかもしれない。
サティの創造した歌曲(ほぼ全曲)を聴いた。
愛しいサティの音楽が魂を癒す。今やメスプレ(2020年5月30日没)も、ゲッダ(2017年1月8日没)も、バキエ(2020年5月13日没)も各々天寿を全うし鬼籍に入られたが、若き日の彼らの名唱が聴けるのだから堪らない(そういえばチッコリーニも2015年2月1日に亡くなっている)。サティの歌曲をまとめて聴いて思うのは、彼が決して奇を衒うだけの変わり者ではなかったであろうということ。一世紀以上を経ても彼の作品の持つ力は劣化することなく、ますます普遍性を獲得する。
ところで、「1886年の3つの歌曲」の第2曲「悲歌」は、マーラーの「大地の歌」第6楽章「告別」の冒頭旋律にそっくりだけれど、偶然なのか、マーラーの意識的な引用なのか、はたまた盗作(?)なのか。