King Crimson “USA”を聴いて思ふ

king_crimson_usa1974年2月9日、「サウンズ誌」のインタビューでデヴィッド・クロスは語る。

たまに不安になるんだ、何をしたらいいのかってね。あまりにも先へ行き過ぎてしまったので僕たちの音楽はある種の世界や人々のことの恐るべき表現であることがよくあるんだ。・・・ほとんどの場合、僕たちのインプロヴィゼーションからは恐怖とパニックが飛び出してくるんだ。

それほどにエネルギーを消耗するパフォーマンスであったということだ。実際に残された音を聴いてみてもその凄まじさが手に取るようにわかる。特に、ヴァイオリンという、バンド内でも異質の楽器を操ったクロスの「求められるように成さねばならない」音楽的苦悩というのは並大抵でなかったろうと想像する。

その年7月1日のセントラル・パークでのキング・クリムゾン最後のギグを終え、フリップは語っている。

私にとってそれは1969年以来最もパワフルなものであった。

まさに最後に放つ異常な輝きとでもいうのか。この1週間後からトリオとして「レッド」のレコーディングをスタートするのだが、わずか3ヶ月後に突然「解散」が発表される。
ロバート・フリップによるキング・クリムゾン解散の理由がこれまた興味深い。

解散の理由は3つ。1番目は、私はかつてキング・クリムゾンのようなバンドの一部でいることが若い者が受けられる最高の自由教育であると考えたが今はそうでないことがわかったからだ。それは世界の変化を表しているということ。2番目はこの危ない10年間を乗り切るためにある程度の技術や才能を獲得する必要があった。キング・クリムゾンの教育が私を特定の位置まで運んでくれたが、もはや私が望む形で教育をしてくれなくなった。そして3番目は、特定のバンドの生活様式と音楽に関わるエネルギーはもはや私の生き方に価値を与えるものではなくなってしまったという点である。ともかく、私が今やりたい仕事のために必要なエネルギーがキング・クリムゾンからは得ることができないのだ。

オリジナル・クリムゾンが消滅することになってからのフリップはリーダーとして機能せざるを得なかった。もともと本人にはそんな意志などなかったのに。幾度ものメンバー・チェンジと音楽性の大胆な変化を操る中で、ある意味フリップは自らを自己暗示にかけた。それが上記の言葉につながる。
しかも、このインタビュー中で彼は次のようにも言う。

今我々は言うなれば古い世界から新しい世界へと移行しているところなのだ。

この後、フリップ独特の訳のわからない講釈が延々と続くが、それは省こう。理屈はどうあれ、常にチャレンジし、変化し続けることが彼の信条だということ。その点ではマイルス・デイヴィスと同じ。聴衆は70年代クリムゾンの、あるいはオリジナル・クリムゾンの音を、楽曲を欲するのに彼らはそれを真っ向から拒否する。

アナログ盤”USA”がCDに復刻されたとき、ボーナス・トラックで”Fracture”と”Starless”が追加収録された。それらは実に哀しみの音楽だ。

King Crimson:USA

Personnel
David Cross (violin and keyboards)
Robert Fripp (guitar and mellotron)
John Wetton (bass and voice)
William Bruford (percussives)

これらのパフォーマンスから早40年なのである。しかし、音楽は今でも新しい。
過去に縛られない、常に未来を見据える余裕のロバート・フリップと、精神的に追い詰められたデヴィッド・クロスと・・・。”Starless”後半の壮絶なインプロ・パートを聴けばまさにそのことがわかる。とはいえ、ウェットンやブラッフォードはまだまだいける・・・。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

※引用インタビューは”The Essential King Crimson : Frame By Frame”及び”USA”ライナーノーツより抜粋。

 


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