ホロヴィッツ&トスカニーニのチャイコフスキーを聴いて思ふ

tchaikovsky_pathetique_toscanini_horowitzチャイコフスキーはどうしてこういう音楽の書き方をしたのだろう?
第3楽章アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェの猛烈な行進曲の音圧に騙されて(?)多くの聴衆が拍手喝采を送る。おそらく作品を熟知した者でも壮絶な音楽を聴くと無条件にそうしたくなるものなのだろう・・・。僕も実際の会場でそういう場面に幾度か遭遇した。
お陰で、続く終曲アダージョ・ラメントーソに一層悲哀の念がこもり、いかにも作曲者が初演直後に亡くなったことを予感するかのように宿命的に聴こえるのである。方法としては「邪道」とみる向きもある。「わざとらしい」とする声もある。しかし、それでもこの音楽は次代に引き継がれ、永遠に残り得る名曲だと断言する。

1941年4月19日のカーネギーホールでのトスカニーニの演奏会でも第3楽章が終った直後に猛烈な拍手が起こっている。一部の聴衆によるパラパラとした拍手でなく満場一致の大変なそれなのである。わからなくもない。トスカニーニならではの、ただ内燃するのではなく表面から湯気が出、焦げ付きそうな灼熱の音楽を、有無を言わせず聴かされれば誰でもそうなってしまう。何という激烈な追い込み!当日当夜のカーネギーホールの聴衆が羨ましい。そして、終楽章コーダのクライマックスにおける金管の慄きと弦楽器群の泣き。これほどの感情移入の代物を耳にすると、トスカニーニが単なる楽譜至上の客観主義者でなかったことがよくわかる。この後音楽は静かに祈り、消え入るように閉じられるのだ。
ちなみに、第2楽章アレグロ・コン・グラツィアの舞踏も愉悦の中に謎めく哀しみを帯びる。

チャイコフスキー:
・交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
・ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23
ウラディーミル・ホロヴィッツ(ピアノ)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団(1941.4.19Live)

協奏曲の方は音楽が一層真に迫る。ホロヴィッツの火を噴くような超絶技巧に触発されるかのようにトスカニーニが燃え上がる。第1楽章導入の有名なファンファーレ、その後に続くあのピアノの和音、そして主部に入ってからの音楽・・・どの瞬間を切っても一点の曇りもなく一切の弛緩もなくその場の聴衆を歓喜と興奮の渦に巻き込みながら進んでゆく。打楽器の何という轟き・・・。ピアノの壮麗な響きと哀愁に満ちた音色の対比・・・。
そして、第2楽章アンダンテ・センプリーチェの優しさよ。速いテンポであっさりと音楽が奏でられる素振りを示しながら、聴こえてくるものは実に深い。義理の親子がチャイコフスキーを軸にここでひとつになるんだ。
終楽章アレグロ・コン・フオーコの凄まじいコーダの掛け合いが聴きもの。曲が終わる前に巻き起こる熱狂的な拍手と歓声とがそのことを物語る。スピードとテクニックとパッションと!!!音の古さを超えて思わず釘付けになるほど。

「悲愴」交響曲を初演後数週間で急逝したチャイコフスキーは、当然自分がまもなく死ぬとは思っていなかった。翌年以降の予定も随分決まっていたらしい。新作オペラ、フルート協奏曲にチェロ協奏曲の作曲、あるいはアムステルダム、ヘルシンキ、ロンドンなどヨーロッパへの楽旅、自作の指揮などなど。本人は少なくとも1910年までは生きるつもりだったそうだからすべてが残念でならない。

 


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3 COMMENTS

畑山千恵子

仮に、チャイコフスキーが長生きしていたら、もっと違った音楽が生まれていたかもしれませんね。フルート、チェロのレパートリー拡大にも貢献したし、今までのオペラとは一味違ったものができたかもしれません。オペラでは、ロシア・オペラの傑作が生まれたかもしれません。
とはいえ、あまりにも突然の死でしたから、自殺を装って殺害されたと言う説もあったほどです。また、何か資料が出てきたらどうなるでしょうか。

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