「悲劇の巨匠ヴェデルニコフ 20世紀ロシアのピアノ音楽」を聴いて思ふ

klavierabend_mit_anatoly_vedernikov20年前に比べ「感覚」が研ぎ澄まされているようだ。当時わからなかったものがわかり、わかったものも一層腑に落ちる。
20世紀前半のロシア音楽と19世紀前半の独墺音楽を並べた果敢なリサイタルの実況録音。確かなテクニックに裏打ちされた壮絶なる記録とでも形容しておこうか。

泣く子も黙るスクリャービンの神秘主義。後期のソナタはいずれも「瞑想的な響きから高揚し恍惚の境地に至り、クライマックスにおいて神との合一を果たす」というプログラムを内在しているということだが、最後の第10番は幾分「妄想的な側面」を露呈させるよう。しかし、そのことをカヴァーするかのようなピアニストの内省的かつ歌謡的な演奏により、音楽はいかにも「現実的に」響く。何というトリル!!!

青年ショスタコーヴィチによるモダニズム全開のソナタが脳天を直撃する。何という激烈な魔法。後にショスタコーヴィチ自身はこの作品を否定することになるのだが、これほどに非旋律的でありながら深層心理に訴えかける音楽はない・・・。スターリニズムが専横する以前のソビエト社会は勇猛な芸術家にとって生きやすい場所だったということか。そしてまた、スクリャービンの難解な音楽が何だか「柔い」ものに聴こえるのは気のせいなのか・・・。

・スクリャービン:ピアノ・ソナタ第10番作品70(1913)
・ショスタコーヴィチ:ピアノ・ソナタ第1番作品12(1926)
・ウストヴォーリスカヤ:ピアノ・ソナタ第2番(1949)
・リゲティ:エチュード第1集(1985)より第4番、第5番&第6番
・シューマン:アラベスクハ長調作品18
・シューベルト:即興曲変ト長調D.899-3
・グラツィオーリ:アダージョト短調
アナトリー・ヴェデルニコフ(ピアノ)(1992.6.16Live)

ショスタコーヴィチの愛弟子であったウストヴォルスカヤの作品には師の影響はあまり見られない。どちらかというとバルトークをより一層深化させた知的な作風が耳に馴染む。

彼女の音楽は世界的名声を獲得し、音楽の真実を理解するすべての人々によってその卓越した重要性が認められるだろうと確信する。
~ライナーノーツ

上記はショスタコーヴィチが彼女に送った賛辞だが、しかし「社会主義リアリズム」に真っ向から反対した彼女がソビエト社会で評価されることはなかった(それによって西側に知られる術も自動的に葬られた)。とはいえ、続くリゲティのエチュードを聴くにつれ、この偉大な作曲家に比してウストヴォーリスカヤは何の遜色もなく、むしろリゲティですら彼女の影響を受けているのではないかと思わせるほど音楽的イディオムの類似性を感じさせる。
何という素晴らしいひとときか。

こうなるとシューマンやシューベルトの甘い作品が前半のロシア現代音楽の厳しさを一層引き立てる。いや、逆かも。「アラベスク」を耳にしてほっとする僕がいた。何という憧れと優しさと・・・。ロベルト・シューマンの天才が一気に飛翔する。
そして、それ以上に素晴らしいのがシューベルトの「即興曲」!!!何というルバート!!!その名の通り、まさに「即興」風の演奏はヴェデルニコフの真骨頂!!!溜めて溜めて、一気に爆発する濃厚なロシアン芸術的解釈に舌を巻く。

おそらく当日のアンコールだろう、グラツィオーリの「アダージョ」のあまりに可憐なことよ。言葉に表せぬ感動がこの1枚に刻み込まれる。

 


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