タネーエフの弦楽五重奏曲ト長調を聴いて思ふ

taneyev_quintet_rosenthal師であるチャイコフスキーとどこか双生児的でありながら師の抒情性とは異なる、複雑でありながら明朗な音楽に酔い痴れる。ロシアにおける、その後の音楽界を牽引する大作曲家たちを数多く弟子にもったセルゲイ・タネーエフ。来年は没後100年になるが、その作品はあまり知られていない。

ト長調の弦楽五重奏曲を聴いた。第3楽章「主題と変奏」に惹かれる。
おそらくバッハの「ゴルトベルク」にインスパイアされたのではないかと思う、瞑想的で美しい主題に始まり、第1変奏は躍動感に溢れる。第2変奏は堂々たる解放、さらに諧謔的な数十秒の第3変奏へと続き、優美な第4変奏へ。その後も音楽はひたすら変奏される・・・。

タネーエフは「ロシアのブラームス」といわれるそうだが、僕の耳にはブラームスというよりやっぱりチャイコフスキーだ。そのことは懐古的な旋律と後半の「革新的かつ内省的な」変奏曲に著しい。

タネーエフ:弦楽五重奏曲ト長調作品14(1995.2録音)
ポール・ローゼンタール(ヴァイオリン)
クリスチャン・ボー(ヴァイオリン)
ライナー・モーク(ヴィオラ)
ゴドフリード・ホーヘフェーン(チェロ)
ナタニエル・ローゼン(チェロ)

モスクワで、タネーエフは一生を「死人通り」の木造の田舎風の家で過した。そこには電気も水道もなく、玄関には常に「留守です」という看板がかけられていた。とはいえ、タネーエフのこの家を訪れた音楽家は多い。ニキッシュ、リヒター、ローゼンタール、ブゾーニ、その他。彼は、気難しそうな表情をしていたが、温厚さはその眼に現れていた。
藤野幸雄著「モスクワの憂鬱~スクリャービンとラフマニノフ」P50

おそらくシャイなだけで決して人嫌いだったわけではない。そして、この人はある意味音楽にしか興味がなかった。

演奏会の前の晩、ラフマニノフは(「晩禱」の)総譜をもってタネーエフを訪れた。タネーエフがこんなに興奮したのを見るのは初めてだった。セルゲイ・イワーノヴィチの目はうるんでいた。彼はなにか言いたかったが、窓に近づき、しばらくのあいだカーテンを通して月明かりの夜を見ていた。それからゆっくりと客の方へ振り向いた。
「わたしは感動しましたよ」と彼はラフマニノフの肩に手をかけて言った。
ニコライ・バジャーノフ著 小林久枝訳「伝記ラフマニノフ」P326

1915年の4月14日アレクサンドル・ニコラーエヴィチ・スクリャービンが、突然不慮の死をとげた。・・・
冷たい雨が棺の屋根を叩き、棺車を覆っている生花を痛めつけた。ラフマニノフの前を夏の薄い外套を着たセルゲイ・イワーノヴィチが、頭になにもかぶらずに歩いていた。「ああ、なんて不注意なことを!」とラフマニノフは思った。
~同書P327

それぞれに弟子を想う師の姿を見る。なるほどタネーエフの作品が耳に心地良いのは深い「愛」に包まれるからだ。
スクリャービンの葬儀中での不注意により風邪をこじらせ、タネーエフは急逝する。師の突然の死去に対しラフマニノフが「ロシア報知」に宛てた追悼文が美しい。

セルゲイ・イワーノヴィチ・タネーエフが逝ってしまった。大作曲家であり、当世最も教養高い音楽家であり、まれなる個性と独創性と崇高な精神の持ち主、そしてモスクワ音楽界の最高峰である人が・・・
・・・彼を知り、彼の門を叩いたすべての者にとって、かれこそ叡智と公正と寛容と率直さを持った最高の審判者だった。何事につけ、彼のすべての行為が手本なのだ。なぜなら彼は、何事にせよ、最善を尽くしたからだ。彼は自ら手本を示すことによって、いかに生き、いかに考え、いかに働き、さらにいかに口をきくべきかということまでわれわれに教えた。彼の忠告は誰もが重んじた。なぜなら、信じていたからである。信じることができたのは、彼が自身を持ち、良かれと思えばこその忠告だったからである。・・・
セルゲイ・イワーノヴィチは平凡な質素な、ある面では、彼自身は満足していたとはいえ、粗末ともいえる暮らしぶりだった。彼のもとには、彼のつましい一戸建ての家には、初心の弟子から、全ロシアの大家に至るまで、種々様々な毛色の違った、主義主張の相反する人間が合流した。そして誰もがそこで解放感を味わい、楽しく居心地よく過ごし、誰もが親切にされ、彼からなんらかの勇気や新しい力を与えられた。彼が人々に接する態度は完璧だった。そして私は、彼に侮辱された人などあったためしがなく、いるはずがないことを固く信じている。
~同書P328

セルゲイ・ラフマニノフの賞賛と感謝の言葉はまだまだ続く。こういう言葉を知って、タネーエフの傑作を聴きたくならない人などいないだろう。


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