グルダのモーツァルト ピアノ・ソナタK.457, K.570&K.576(1982.11録音)を聴いて思ふ

変幻自在のフリードリヒ・グルダ。
この人のモーツァルトほど聖俗あわせもち、人間っぽさを誇るものはない。
極めて素直に定型を重んじるそのうちに、いかにも彼らしい「遊び」の精神が宿る。
生きることの愉悦と、死への慄きと、あらゆるものが錯綜し、真の美を醸す妙。
何にせよ「愛」だと神童は訴える。そして、百戦錬磨のピアニストはそれに見事に応え、「愛」を表現する。

私たちはどこから生れて来たか。
愛から。
私たちはどうして滅ぶか。
愛なきために。
私たちは何によって自分に打ちかつか。
愛によって。
私たちも愛を見出し得るか。
愛によって。
長いあいだ泣かずに済むのは何によるか。
愛による。
私たちをたえず結びつけるのは何か。
愛である。
「シュタイン夫人へ(私たちはどこから)」
高橋健二訳「ゲーテ詩集」(新潮文庫)P136

ゲーテの詩に触発され、グルダのモーツァルトを聴き、愛こそはすべてだとあらためて思った。これはおそらくゲーテの、個人的な情感を謳ったものだろうが、実に普遍的だ。たぶんそれは、モーツァルトについても同様。彼の作品は、本来は個人的なものだ。しかし、時間と空間を超え、死から230年近くを経ても生々しく、温かい。

モーツァルト:ザ・コンプリート・グルダ・モーツァルト・テープス
・幻想曲ハ短調K.475
・ピアノ・ソナタ第14番ハ短調K.457
・ピアノ・ソナタ第17番変ロ長調K.570
・ピアノ・ソナタ第18番ニ長調K.576
フリードリヒ・グルダ(ピアノ)(1982.11録音)

グルダは、最晩年のモーツァルトのソナタの透明感を本当に上手に表現する。
変ロ長調ソナタ第1楽章アレグロの、簡潔で可憐な歌を、どこか哀しく歌うグルダのピアノ。彼が自由になればなるほど、モーツァルトは苦悩から逃れることができるのだ。また、第2楽章アダージョの、言葉なくして語りかけるピアノの安らぎに魂揺れ、終楽章アレグレットの軽やかさにグルダの神がかり的ひらめきを発見する。

そして、モーツァルト最後のソナタニ長調の生命力豊かな表現に感動。作曲時点では当然ながら死を意識していなったモーツァルトの明日への希望を歌おうとするグルダのピアノはどこまでも永遠だ。特に、第2楽章アダージョの祈りの静けさは美しさの極み。

いつも変わらなくてこそ、ほんとの愛だ、
一切を与えられても、一切を拒まれても。
~同上書P165

ゲーテの言葉は真理を突く。
モーツァルトはそのことを音楽で紡ぐ。
グルダは・・・?

 

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